佐賀の土鈴・2(唐津土鈴)

  • 2019.01.14 Monday
  • 12:02

皆さまこんにちは

 

今日は平成最後の成人の日ですね。

新成人の皆様、おめでとうございます。

まるで新成人の門出をお祝いするかのように

雪国・郡上市も珍しく抜けるような青空が広がっています。
 

 


さて、佐賀の土鈴、今日は野口喜光さんの唐津土鈴をご紹介します。





佐賀県を代表する唐津くんちの例祭に曳き回される曳山は全部で14基あります。

乾漆という技法で豪華絢爛に作られた曳山は江戸の終わりから明治の初めにかけて作られました。

今この曳山を1基作るとしたら1億から2億の費用が必要だそうです。

野口喜光さんの唐津土鈴は曳山を忠実に再現した土鈴です。

写真は10僂曚匹両さな曳山土鈴の集合写真です。

大きな土鈴の方が精巧に再現されていますので順に特大サイズを見てみましょう。

 

 



刀町の赤獅子




ミニサイズは10センチほど、大きな赤獅子は25センチを超す大作です。

赤獅子は最も古く1819年に作られたそうです。

曳山には古いものから順に1から14まで番号が付けられています。

江戸から明治、昭和にかけて何度か本格的な修理を施し、

現在も昔のままの姿が守られているそうです。




中町の青獅子



中町の青獅子は1824年に作られました。

当時、青獅子は歯が動くように作られていたそうです。

土鈴で見る限りは赤獅子より豪華な感じがしますが実際はどうでしょうか。




材木町の亀と浦島太郎



材木町の亀と浦島太郎です。迫力のある亀ですね。

1841年に作られました。

最初に作られた時は浦島太郎ではなく宝珠が乗せられていたそうです。

20年ほど経って浦島太郎に変わったようですが、

亀に乗った浦島太郎が実際の大人と変わらない大きさのようですから、

市中を引き廻される曳山の大きさに驚くばかりです。




呉服町の九郎判官義経の兜



呉服町の九郎判官義経の兜です。1844年に作られました。

重さは1.8トンもあり、漆作り一閑張りの巨大な芸術品です。

動画で実際の様子を見てみました。

兜の乗った台座に立つ人の頭が兜の鼻の辺りまでしか届いていませんでした。

本当に大きくて豪華な曳山なんですね。

 

 


魚屋町(うおやまち)の鯛



魚屋町(うおやまち)の鯛です。この曳山はとても分かりやすいですね。

神様へのお供え物として一番上等の鯛が選ばれたとも言われています。

顔つきもひょうきんで可愛いです。1845年に作られました。


 

 


大石町の鳳凰丸



大石町の鳳凰丸です。1846年に作られました。

大石町は裕福な町で、京都祇園祭りの船鉾を参考に一番豪華な曳山を目指して作られました。

古代貴族の舟遊びにあやかった曳山です。


 


新町の飛龍



新町の飛龍です。1846年に作られました。

南禅寺の壁画に描かれた飛龍がモデルとも言われています。

龍なのに赤いんですね。

6.8メートルもある曳山・飛龍の土鈴です。

ミニサイズから特大の土鈴を並べてみました。

大きくなるほど実際の曳山にそっくりになっています。





本町の金獅子



本町の金獅子です。

赤獅子、青獅子に負けない獅子をとの意気込みから金獅子が作られたそうです。

また、明治に破損して喪失した紺屋町の黒獅子と対をなしていました。

黒獅子は雌の銀獅子だったとも言われ、雄の金獅子と夫婦獅子だったようです。

金色の獅子も強そうだし縁起もとても良さそうです。

金獅子は1847年に作られました。


 

 


木綿町(きわたまち)の武田信玄の兜



木綿町(きわたまち)の武田信玄の兜です。

実際の信玄の兜は諏訪明神信仰に基づいた諏訪法性兜といい、

赤い鬼面の周りを白いヤクの毛で覆い、金色のツノは大きくとても立派なものだそうです。

それを知ってこの曳山を見るとそのまま再現しているわけではないのに信玄の兜だと分かります。

1864年に作られました。



 

 


平野町の上杉謙信の兜



平野町の上杉謙信の兜です。

武田信玄の兜があれば上杉謙信の兜も見たいですよね。

こちらは1869年(明治2年)に作られました。

平野町が木綿町に対抗して作ったのでしょうか。

この曳山から後は明治になって作られた曳山です。


 

 


米屋町の酒呑童子と源頼光の兜



米屋町の酒呑童子と源頼光の兜です。1869年に作られました。

斬り落とされた酒呑童子の首が源頼光の兜に噛み付いています。

昔、都に禍が多いので帝が安倍晴明に占わせたところ、

大江山に住む酒好きの人喰い鬼?酒呑童子の仕業と分かりました。

征伐の命を受けた源頼光は策を講じ毒酒を飲ませて酒呑童子の首を切り落とし、

その首を平等院の宝蔵に納めたと言われます。お酒は好きでもほどほどに。





京町の珠取獅子



京町の珠取獅子です。1875年に作られた曳山です。

宝珠を取りに行く獅子の姿を表し唐津焼の題材にもなっている有名な姿だそうです。

最初今と同じ青獅子で作られ、大正10年の塗り替えで朱獅子となり、

昭和37年の塗り替えで再び青獅子に戻ったそうです。





水主町(かこまち)の鯱



水主町(かこまち)の鯱です。1876年に作られました。

鯱には火災除けの魔力があることから、

水主町の名前に相応しいと考えられたとのことです。

そういえば名古屋城の天守閣も金の鯱が守っていますね。

赤に金色が映えて地元ではオコゼの愛称で人気がある曳山だそうです。





江川町の七宝丸



最後の曳山は江川町の七宝丸です。1876年に作られました。

七宝丸は七つの宝物を積んだ宝船です。

6番曳山の鳳凰丸と対をなす曳山で、龍頭の宝船です。

7つの宝とは、宝珠、軍配、打ち出の小槌、隠れ蓑、宝袋、匂玉、巻き物だそうです。

ひとつもらえるならどれが欲しいですか?

 

 

土鈴のご紹介というより曳山のご説明になってしまいました。

野口喜光さんの唐津土鈴は実際の曳山を見ているような気がします

今日は唐津土鈴のご紹介でした。

 

日本土鈴館

 

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