とうとう最後の投稿となりました。
1986年(昭和61年)10月1日の開館以来、多くの方々にご来館いただきました。
最初は土鈴の展示室から始まりましたが
ぬくもり通り、やすらぎ館、アジア館と展示室を広げて参りました。
館長が好きなことを好きなようにやってきた土鈴館ですが
若かった館長も今は93歳…今までのような無理はできない年齢になりました。
閉館を残念に思ってくださるお声を多く頂戴いたしましたが
館長一代限りの日本土鈴館は幕を閉じることになりました。
たくさんのお花で閉館に花を添えて頂きました。
様々な思い出が詰まった土鈴館です。
日本土鈴館友の会の皆様との年に一度の交流会、
観光バスで来館され初めて見る土鈴に驚かれたお客様、
郷土玩具が大好きでご遠方からわざわざお越し頂いた愛好家の皆様、
本当にありがとうございました。
皆様のおかげでギネス世界一にも認証されました。
東京雅叙園さんの百段階段の雛祭りにも参加いたしました。
石坂浩二さんのお宝サロンにも最高齢で出演いたしました。
雅叙園・百段階段雛祭り
お宝サロン収録の後、石坂浩二さんと一緒に記念撮影
これはテレビ局へ向かう途中のワンショット、懐かしいです。
数え上げたらたらきりがありませんが
その思い出のひとつひとつが館長の元気の源となっています。
今後はひとりの愛好家に戻って
土鈴や郷土玩具の愛好家の皆様との交流を楽しみに過ごしたいと思っています。
本当に感謝しかございません。
どうもありがとうございました。
どうぞ皆さま、良いお年をお迎えくださいませ。
日本土鈴館
☆☆お知らせ☆☆
当館のホームページの更新は今日をもって終了致しますが
当分の間は今まで通りご覧いただける予定です。
おもちゃばこからのアクセスも当分の間できる予定でいます。
尚、インスタグラムでのコレクションの紹介は今後も続けます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
☆☆☆☆☆☆☆☆
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閉館のご案内を公表してから多くの方々にご来館いただいています。
連日のお客様の対応やらマスコミの取材やら
93歳の館長がオーバーワーク気味に在館しています。
閉館は残念だとのお声も多くお寄せいただき
閉館を惜しんでくださる方が多いことを大変ありがたく受け止めています。
☆☆お知らせです☆☆☆
12月24日金曜日午後6時10分から放送のNHK「まるっと!」で
日本土鈴館の生中継が予定されています。
いつもはもう閉まって誰もいない土鈴館から番組が放送されます。
東海三県の皆様、ご都合宜しかったらご覧ください。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて、先日野田末吉型を使った禰?田さんの寅をご紹介しました。
何点か野田さんの寅の写真も載せましたが
まだまだ素敵な作品がありますので今日は野田さんの寅をご紹介します。
左の丸顔の虎(横幅約6?×高さ約3.5?)は土鈴です。
右の角ばったお顔の虎(横幅約6?×高さ約5?)は土人形です。
コロンと丸い虎土鈴も愛嬌たっぷりの土人形もどちらも魅力的です。
虎加藤土鈴です。(横幅約6?×高さ約8.5?)
賤ケ岳の戦いで七本槍の一人に数えられた加藤清正ですが
朝鮮半島での虎退治の逸話はとくに有名です。
朝鮮半島に棲む最強の動物を槍で仕留めたという清正の武勇伝。
(実際は鉄砲で仕留めたとか…でも槍ということにしておきたい気がします)
和藤内土鈴です。(横幅約10?×高さ約9?)
千里が竹で人食い虎を退治した和藤内の勇ましい姿です。
切れ長の目元が美しい和藤内は明朝の遺臣・鄭成功という実在の人物がモデルだそうです。
鄭成功の父は中国人、母は日本人で平戸で生まれたハーフです。
近松門左衛門の国性爺合戦の主人公・和藤内の手には伊勢神宮のお札が握られています。
お札は紙製です。
アジア圏で最強の動物・虎を退治することが武勇伝となって
浄瑠璃や歌舞伎の演目で人気が高まり
和藤内や加藤清正の土人形が多く作られてきた理由のひとつです。
寅土鈴、野田さんの作品にしてはやや大きめの横幅約16?×高さ約9.5?です。
この作品、アジア圏最強の生き物という趣はなく
一緒に遊ぼう〜とじゃれているような愛くるしい虎土鈴です。
虎の高砂土鈴です。横幅約2?×高さ約5?の小さな土鈴です。
こんなに小さいのに翁も媼もそれらしいお顔つきに描かれています。
着物の彩色にも手抜きがなく写真だけ見るともっと大きな作品かと思います。
こちらの高砂土鈴は寅年の野田さんと申年の奥様。
申の媼の衣装の美しいこと!野田さんはきっと愛妻家だったんですね〜
虎土鈴(横幅高さ共に約7?)です。
これは横幅約3?×高さ約2.5?の小さな土人形です。
小さくても動きのある生き生きとした作品です。
もっと小さい虎土鈴(横幅約2.5?×高さ約1?)とその型です。
目を凝らしてやっと虎の表情や体の縞模様がはっきり見える大きさです。
振れば小さく鈴の音がチリチリと響き、まさに末吉翁土鈴の真骨頂!
素晴らしいの一言です。
(小さすぎて写真のピントが合わせ辛かったです)
竹細工の首振りの虎風の寅土鈴二つ。
横幅約5?×高さ約3.5?、小さい方は3?×1.5?です。
どちらも十二支揃いの中に納まっています。
十二支揃いの絵馬土鈴の寅です。竹に寅、いい絵柄です。
絵馬土鈴は横幅約5?×高さ約4?ですが描かれた寅は横幅約2.5?です。
こうして写真に撮って拡大してみると細部にわたって
生き生きと彩色されているのがよくわかります。
来年の寅年に向けて野田末吉さんの寅をご紹介しました。
小さな作品が多いので、干支飾りにも飾らず年中展示ケースに収まっています。
ゆっくりご覧いただけましたら幸いです。
日本土鈴館
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先日CBCチャント!で放送された番組が
YouTubeのCBCドキュメンタリーにアップされました。
こちらをタップしていただければご覧いただけます。
いつもは静かな土鈴館ですが、
テレビや新聞などで日本土鈴館閉館を取り上げて頂いてから
驚くほどたくさんの方々がご遠方からご来館されています。
そして、ほとんどの方があの感謝状はどこにあるんだろう?とおっしゃいます。
一番奥の展示室・アジア館にございます。
お分かりになりますか?
ちょっと寄ってみましょう。
感謝状はちょっと小ぶりですが東条英機と遠山一男とはっきり分かります。
CBCテレビのチャント!の放送後初めての週末、
館長は本当にたくさんの方々をお迎えしました。
いつもは2時過ぎに帰り支度をする館長が
昨日は5時近くまで在館していました。
さすがにお疲れの様子で、こたつでウトウトしていました(笑)
懐かしい方からこんなに美しいお花まで頂戴して嬉しかったです。
ありがとうございました。
マスコミの影響力の凄さを改めて感じるこの頃です。
平日はボチボチのご来館でゆっくりご覧頂けると思います。
10時から3時を目処に館長が在館しています。
(但し、15日の水曜日は一日中休館予定です)
日本土鈴館
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先日取材をしてくれたCBCさんの放送予定日のお知らせです。
12月9日、チャント!の中で放送されるそうです。
チャント!は夕方3時49分から7時までの地域密着の報道、情報番組です。
視聴できる地域の皆さま限定になりますがどうぞご覧になってください。
どんな内容なのか…私達も楽しみです。
宇土張子・坂本カツさんの虎車と今日の館長です。
おかげさまで今日も元気に在館しています。
日本土鈴館
]]>急に冷え込みが強まって寒くなってきました。
今朝は周囲の山々だけでなく庭もうっすら雪化粧です。
先日(11月29日)にCBC(中部日本放送)さんの取材がありました。
この日は今日にも増して空気がキンキンに冷えたような寒い1日でした。
まずは概観撮影から…
裏山の木々は落葉寸前のようです。
続いてスタッフのみなさんと館内をあちらこちらと移動しながらの撮影。
館長も元気よく歩き、取材に応じていました。
入口から一番奥のアジア館まで何度か往復するだけでいい運動になります。
写真はこけしやお面などが並ぶぬくもり通りを進む取材陣と館長。
(撮影の邪魔にならないように、時々こっそり写真を撮りました)
今回もアジア館では東条英機からもらった感謝状がメインの話題になった様子です。
寒い中丁寧に取材して下さって、CBCのスタッフさんに感謝です。
館長も一日お疲れさまでした。
放送予定日は12月8日と聞いていますが
はっきり分かりましたらまたご報告させて頂きます。
日本土鈴館
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土鈴館が今年限りで閉館する予定とのお知らせをしましたら
なくなる前にもう一度!と大変多くの方々にご訪問頂いています。
秋田、新潟、長野、京都、愛知、埼玉、千葉……
何時間も運転されたり
またお泊まりがけでご来館頂き本当に恐縮に存じます。
土鈴館の営業は今年限りですが
土鈴館が無くなるわけでもなく館長も今まで通りです。
ご連絡頂ければ都合のつく限り来年からもご自由にご見学ください。
さて、今日のご紹介は三河大浜土人形3代目禰宜田徹さんの虎です。
先ずは禰宜田さんオリジナルの虎から。
禰?田徹さんの座寅です。
勇猛果敢な虎というよりは柔和で優しげな虎です。
描き入れられた黒い線の勢いは力強いです。
野田末吉さんから譲り受けていた人形の型を禰?田さんに引き取っていただきました。
これまでずっと土鈴館で保管していましたが
保管しているだけでは型が生かされません。
この型を使って新しく土鈴や土人形が作り出されたら型も活きます。
禰?田徹さんの虎 野田末吉さんの虎
禰?田徹さんの裃寅 野田末吉さんの裃寅
禰?田徹さんの神官寅 野田末吉さんの神官寅
野田さんの使っておられた型から出来上がった兄弟のような土鈴。
同じ型から生まれても、それぞれの個性がはっきりと見えて全く違う作品になっています。
彩色だけでなく、質感や雰囲気までも全く違っています。
いつもは大型の作品を多く手掛けられる禰?田さんですが
野田さんの小さな型から土鈴を作り出すのはなかなか手ごわい作業だったそうです。
どうもありがとうございました。
日本土鈴館
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来年の干支・寅の展示準備をしています。
今回はいつもと少し趣向を変えて干支飾りをしています。
これまではその年の干支をずらりと集めて展示しましたが
今回は、上段には今までのように干支の寅、中段は十二支揃いの土鈴や郷土玩具、
下段に縁起の良い恵比寿大黒と招き猫を並べてみました。
十二支揃いの土鈴はいつもながら起の作品が多く飾られています。
中段には各地の十二支揃い、左下段には招き猫です。
大浜土人形・禰?田さんの段重ねの立派な招き猫が目立っていますね。
赤い猫とその隣の白い猫の2体は旭土人形・高山八郎さんの作品です。
たくさんあった高山さんの招き猫も多くの愛好家さんのもとに引き取られ少なくなりました。
中段には各地の十二支揃い、右下段には縁起の良い大きな土人形を飾りました。
首振りの張子の虎は販売品コーナーの一角に集めて飾ってみました。
こうしてみると虎ってかっこいい干支ですね。
龍と違って虎は実在する生き物です。
特にアジア圏では最強の生物として君臨しています。
群れずに堂々と生きる姿も潔い気がして孤高の美を感じさせます。
そんな姿から、虎には魔を祓う霊力があると信じられてきたそうです。
来年は寅年……
虎の霊力にあやかって様々な困難に打ち勝つ一年になればいいな〜
そんなことを思いながら虎を飾っています。
日本土鈴館
]]>いつも日本土鈴館のHPにお越しくださいましてありがとうございます。
急なご報告になりますが
令和3年12月末日をもちまして
日本土鈴館を閉館することと致しましたのでお知らせいたします。
これまで多くの皆様に支えて頂きましたことに深く感謝申し上げます。
館長の還暦を記念して開館した日本土鈴館…
館長も若くて元気いっぱいに日本中、時には海外を駆け回っていました。
その館長も93歳になり、
体力的に土鈴館の経営をだんだん負担に感じるようになってきました。
これまで不定休とする代わりに入場無料としたり
観光バスによる団体のお客様をお断りするようにしたり、
いろいろ工夫してお客様にご迷惑が掛からない方法を探ってきました。
しかしながら、建物や設備の整備、人員の確保など
土鈴館を経営するには多くの問題をクリアしなければなりません。
土鈴館は館長の趣味によって興した私設の博物館です。
もともと一代限りの施設であり後継者はいません。
今後はひとりの愛好家に戻ってこれまで蒐集したコレクションを
次世代の愛好家さんに引き継ぎたいと考えています。
好きな土鈴や郷土玩具を充分楽しませてもらった恩返しに
これからは愛好家の皆様のお役に立つことがあれば嬉しく思います。
年内はこれまで通り不定休ながら開館しています。
またHPも更新して、おもちゃ箱でのお買い物もご利用いただけます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
日本土鈴館
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今、手許に「三四呂人形・野口三四郎の芸術」という図録があります。
平成17年に三島市郷土資料館が発行しました。
同年3月に開催された企画展の図録で、館長が見学したときに求めたものです。
三四呂人形とは野口三四郎が作った小さな張り子人形です。
もともと、野口三四郎は写真家を目指していたそうです。
昭和4年、朝鮮博覧会に写真技師として京城(現在のソウル)へ派遣されました。
目にした朝鮮半島の風景や人々の暮らしに魅せられて
仕事の後も一か月ほど半島に残ってスケッチ旅行をしました。
この体験が野口三四郎に大きな転機をもたらしました。
日本に戻ってから人形の制作に取り組みました。
結婚し、子供にも恵まれ、制作活動も順調だったのですが…
人生には時に残酷で悲しいことが待ち受けているものです。
昭和9年に妻を、翌10年には愛娘の桃里ちゃんを亡くしてしまいます。
悲嘆にくれながらも創作活動を続け
昭和11年に第一回人形芸術院賞を受賞しますが
その翌年の2月に35歳という若さで三四郎も亡くなってしまいました。
第一回人形芸術院賞受賞作の「水辺興談」です。
これは有志による大変良くできた複製で、館長が資料館で求めたものです。
三四郎の作品は、木彫りの型から石膏で型を取り
その内側に反故紙や雁皮紙を重ねて貼り合わせ彩色を施した芸術的な張り子人形でした。
昭和30年代から40年代にかけての一時期に複製が作られていました。
里子と名付けられたお人形は幼くして亡くなった娘の桃里ちゃんがモデルと言われています。
こんなに愛らしい我が子に先立たれてどんなに悲しかったことでしょう。
三四呂人形は素朴で生き生きと遊んでいる子供の姿を温かく表現しています。
三島市の郷土資料館だよりの言葉を借りれば
「遊びや生活の中の一瞬の表情を切り取る〜写真家であった三四郎ならではの作風」
であり、それを表現する方法が和紙の軽さ、ぬくもりを使った張り子人形だったのです。
今年、三島市では郷土の文化的財産である三四呂人形を
最新の3Dプリンターで復元して話題になっています。
決して水を差すわけではありませんが、昭和の張り子人形にはぬくもりがあると思います。
今日は深い悲しみを芸術に高めて早世した野口三四郎と三四呂人形をご紹介しました。
日本土鈴館
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先回、名古屋土人形・野田末吉さんが
新舞子の人形塚建立の記念に制作した饅頭食いのご紹介をしました。
今日はその元型を使って日本各地の人形師さんが作られた饅頭食いをご紹介します。
野田さんの作品と元型
山形県・鵜渡川原人形(酒田土人形)の饅頭食いです。
明治の初め、大石家によって作られるようになった鵜渡川原焼人形ですが
現在はその伝統の継承の為保存会が設立されているそうです。
東京今戸人形の白井裕一郎さんの饅頭食い土鈴です。
頭のツムジや招き猫までつけてくださってありがとうございました。
浜松張子4代目・二橋加代さんの張子の饅頭食いです。
土人形ではなく張り子の起き上がりになっています。
正面はもちろん後ろ姿のチョンマゲがとても可愛いです。
堺土人形(湊焼)・津塩家の饅頭食い人形です。優しいお顔です。
後ろ姿帯結びの下にに見える「其水」は野田さんの雅号です。
福岡県の津屋崎土人形の饅頭食いです。
津屋崎人形らしい端正なお顔、美しい彩色……
津屋崎人形巧房・原田誠さんの作品です。
疫病退散の願いを込めた朱色の着物の裾には鬼滅柄やアマビエさんが。
伝統的なお人形に「今」がさりげなく取り入れられています。
長野県・中野土人形6代目奈良由紀夫さんのめちゃくちゃ可愛い饅頭食い。
べそっかきのお嬢ちゃんの泣き顔がたまりません。
郷土玩具って古いだけじゃなく長く伝えられてきたモノ+今…なんですね。
佐賀県神崎町の伝統郷土玩具・尾崎人形の饅頭食いです。
尾崎焼の歴史は古く、鎌倉時代の文永・弘安の役に遡るそうです。
捕虜となった蒙古兵から習った焼き物が長く伝えられていましたが
地元で細々と伝えられていた焼き物だったようです。
近年になって伊東征隆さんの転居で廃絶の危機に見舞われますが
伊東さんの協力のもと、尾崎焼保存会の八谷至大さん、
そして高柳政廣さんへと受け継がれました。
東京今戸焼・いまどき人形・吉田義和さんは男の子と女の子を作ってくださいました。
今戸焼も廃絶を乗り越えた郷土玩具です。
いまどき人形を名乗られる吉田義和さんは今戸焼の完全な復興を目指して
尾張屋・金沢春吉型の継承のための研究と努力を惜しまれません。
この饅頭食いも江戸の頃の仕上がりを目指して
キハダやスオウの煮出し汁を何度も何度も塗り重ねて制作されたそうです。
岩手県花巻土人形の饅頭食いです。平賀恵美子さんの作品です。
江戸時代から続くこの郷土玩具もやはり廃絶の危機を迎えました。
平賀章一さんが見事に復興され、
章一さん亡き後は奥様の惠美子さんが引き継いでおられます。
可愛く散らされた小花模様が花巻の特徴的な彩色です。
愛知県西尾市八ッ面焼焼窯元・松田克己さんは
彩色バージョンときらら焼バージョンの両方を作ってくださいました。
八ッ面山で採れる良質の雲母(きらら)を粘土に混ぜ込んで作られるきらら鈴は
表面に散らした雲母が名前のとおりキラキラと光る美しい土鈴です。
愛知県の起土人形(富田土鈴)の饅頭食いです。
5代目中島一夫さんが亡くなられてからは
それまでご一緒に制作されてきた奥様の一子さんが伝統を守っておられます。
起土人形特有のきれいな白や青・緑・赤・黄の色の取り合わせです。
野田末吉さんの遺された型からたくさんの新しい饅頭食いが生まれました。
楽しい企画ですが、人形師さんのご協力がなければ実現しません。
改めて、ありがとうございました。
日本土鈴館
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急に寒くなりました。
温度差が大きくて震え上がります…日本中寒い朝のようですね。
館長もストーブに張り付いています(笑)
さて、郷土玩具のカテゴリーのひとつに饅頭食い人形があります。
お父さんとお母さんとどっちが好き?
両親にこう聞かれた幼子が手にしていた饅頭を二つに割って
どっちのお饅頭がおいしいの?と聞き返して親を諭した話が由来のお人形です。
京都伏見人形・丹嘉さんの饅頭食い人形です。
日本の各地で作られてきた饅頭食いは全て伏見に倣って作られたものです。
愛らしいお顔に華やかに彩色されたきれい着物
まさに日本の土人形作りを牽引してきた伏見人形の作品です。
滋賀県小幡土人形の戦前の饅頭食い人形です。
もみあげに黒い糸が束ねて植えられています。
古い土人形ではもみあげに黒糸を植える技法がよく見られるようですが
経年につれて糸が抜け落ち、名残りの小さな穴だけになっているものが多いようです。
この饅頭食いは27?ほどの大きめのものです。
時を経て、戦火を逃れて、今も堂々と美しい姿を見せてくれています。
名古屋土人形・野田末吉さんの饅頭食いです。
大きなのが土人形、小さいのは土鈴、奥の茶色いのは元型です。
昭和8年、知多半島の新舞子に古いおもちゃの供養のため
大きな饅頭食いの像が建立されました。
その竣工式の記念としてこの饅頭食いが作られました。
裏には「新舞子おもちゃ塚」と刻まれています。
館長はご縁あってこの型を保存しているのですが
この型を使って日本各地の人形師さんに独自の饅頭食いを作ってもらうという
実にぜいたくで面白い試みの結果、たくさんの饅頭食いが土鈴館に集まりました。
それはまた別の機会にご紹介いたします。
京都・豪勝さんの小さな饅頭食いです。
愛らしい!の一言に尽きます。
宮崎県・佐土原人形は400年の伝統を今に受け継ぐ宮崎の代表的な郷土玩具です。
この地方でも古くから饅頭食いが作られたそうです。
饅頭喰いではなく羊羹食いとも呼ばれます。
ますやさんの三代目が女の子が持つ玩具だからということで
饅頭食いに髷をつけて女の子に仕立てました。
それ以降、佐土原の饅頭食いは女の子になっているということです。
兵庫県稲畑人形・5代目赤井君江さんの饅頭食いです。
稲畑は良質の粘土に恵まれています。
良質の粘土を使うと薄づくりにして焼き上げることができるので
この饅頭食いは大きさの割にとても軽い作品になっています。
着物の彩色も綺麗です。
土鈴蒐集家の代々大先輩・丸山卯三郎さんの小さな饅頭食い土鈴です。
明治24年生まれの愛鈴家・丸山さんは特に大黒様を蒐集されたようです。
好きが高じて…大正の終わり頃からはご自身でもいろいろな土鈴を制作されました。
その丸山さんが作られた饅頭食い土鈴です。
背面には「丸山」と刻まれています。
この土鈴ができた時はどんなに可愛らしい姿だったでしょう。
着物の一部に残る淡い色遣いから想像が膨らみます。
急な寒さに身体が驚いています。
皆様どうぞご自愛くださいませ。
日本土鈴館
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最近地震が多いです。
昨夜の東京の地震も揺れが強く、今朝も交通機関に影響が残っているようです。
揺れの大きかった地域の皆さま、どうぞ安全にお過ごしください。
さて、10月になってそろそろ来年の干支が気になる季節になってきました。
12年に一度巡ってくる十二支揃いはこれまでにもいくつかご紹介してきましたが
今回は愛知県起土人形(富田土鈴)の十二支揃いをご紹介します。
全て亡くなられた五代目中島一夫さんの作品です。
絵馬の十二支で土鈴ではなく土絵馬になっています。
それぞれの干支が美しいパールホワイトの絵馬にレリーフ状に描かれています。
ほとんどの土絵馬の裏は何も書かれていませんが
制作された時のご気分でしょうか、絵馬の裏側に名前を彫られたり
人生訓のような文章が書かれているものもあります。
以前にもご紹介したことがありますが小槌の十二支土鈴です。
握りこぶしほどの大きさの小槌の全面に美しい彩色が施されています。
正面は干支、サイドは黄赤緑青で輪のような模様が入り、
干支の反対側には紅梅がちりばめられています。
来年の干支・寅がお座りしていますね〜
美江寺観音の宝珠土鈴の十二支です。
宝珠の中央に干支がレリーフ状に描かれています。
その背後は全て「福」の一文字が彫られています。
ことらも来年の干支にちなんで寅をズームアップしました。
この宝珠土鈴は高さが12?ほどですが
もっと小さなものから30?を超す特大の十二支揃いまで
様々な宝珠土鈴をたくさん作られました。
だんだん秋が深まってくると土鈴愛好家は来年の干支が気になるそうです。
来年は寅年…寅年生まれの人は逆境に強く正義感も強いそうです。
勇猛で賢い虎にあやかって良い年になりますように。
日本土鈴館
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昨年に引き続き今年もコロナに振り回されながらもう秋になりました。
土鈴館は山里にあることもあり、最近日の暮れが早くなったと感じます。
このところコロナ感染者が急速に減少しているという嬉しいニュースをよく見ます。
ワクチン接種の効果だとか
様々な日常生活の規制の効果だとか
気象条件(夏に長雨が続いた)が功を奏したとか……
はっきりした理由は結局専門家でもズバリと言い当てられないのでしょうが
感染者の減少は私たちが待ちに待っていた朗報です。
とはいっても、これから寒く乾燥した時期に入りますから
今まで以上に感染予防に努めて暮らさなくてはならないことは当然です。
当館も長く休館を続けてきましたがこのような状況を踏まえて
10月からは館内の見学を再開しようと決めました。
もちろん、体調のすぐれない方はご遠慮いただきますが
マスク着用、手指の消毒を守ってくださればご入館ください。
(ぬくもり通りの壁面と天井に展示されたお面や絵馬)
(やすらぎ館の一角にある土雛の段飾り)
ただ、当館は入館料を頂かない代わりに不定休となっています。
館長の体調や気分次第で開館したり閉館したりしますので
この点はどうぞご了承くださいませ。
日本土鈴館
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今日の記事はどうぞあっけらかんと笑い飛ばしてください。
日本各地にみられる民俗信仰のひとつに生殖器信仰があります。
多産・豊穣の切なる祈りが込められた素朴な民俗信仰です。
田縣神社(愛知)ほだれ祭(新潟)かなまら祭(神奈川)
金勢祭(岩手)姫神祭(徳島)どんつく祭(静岡)……たくさんあります。
奇祭と呼ばれながらも多くの人々の信仰によって昔から伝えられています。
郷土玩具においても子宝や五穀豊穣の願いが込められた作品があります。
伏見人形では「笑い」と呼ばれています。
丹嘉・大西重太郎さんの松茸お福です。
一見すると可愛いお福さんが大きな松茸を抱えているだけのようにも見えます。
露骨な表現を避けたいわゆる品のいい「笑い」です。
伏見稲荷大社は商売の神様として有名ですが
実は商売繫昌のほかに五穀豊穣、安産、病気平癒の願いも叶えてくださいます。
その門前で作られてきた伏見人形が「笑い」に子宝や豊穣を託しました。
松茸お福は柔らかい表現の作品ですがこんな作品もあってびっくりです。
金精大明神 (小さな写真にしました・笑)
丹嘉さんの作品です。
びっくり仰天のシルエットですが、
その昔、遊郭などの神棚に商売繁昌・性病除けのおまじないとして置かれたようです。
風紀統制の厳しい時代には官憲による取り締まりの対象になったそうです。
滋賀県小幡土人形では「松竹もの」と呼ぶ作品が割と多くあります。
伏見人形に倣った小幡ですが松竹ものは個性的です。
お福さんはもう松茸ではないものをにこやかに抱いています。
乗ったり抱いたり抱えたり……(笑)
猿や狐も登場します。
狐の持つ提灯に「松竹や」と書かれていて洒落てます。
8代目細居文蔵さんのおおらかな性格から明るい松竹ものが生まれました。
男の子と女の子が並んでいます。
このままだと普通のお人形ですが松竹ものは下から眺める仰天の作りになっています。
気になる方は土鈴館で直接お確かめください。
今までほとんどご紹介しなかった「笑い」と「松竹もの」です。
ずっと昔、日本人は性に関して実に寛容で明るく受け止めていたという歴史もあります。
今日はどうぞ笑い飛ばしてご覧ください。
日本土鈴館
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皆さまこんにちは
明治までの玩具と言えば木か布か紙か土で出来ていました。
大正期になってブリキとかセルロイドで出来たおもちゃが出回ると
軽くて大量に生産できるこのようなおもちゃにだんだんとシフトしていきました。
しかし、木製の玩具も轆轤挽きの技を持つ木地師たちの努力によって
途切れることなく今に伝えられてきました。
今日は山形県小野川温泉の蔦文雄さんの木地玩具を中心にご紹介します。
蔦文雄さんの車物・楽隊です。
紐を引くと頭をクルクル回しながら(一回りしちゃいます!)バチを上下させて
太鼓をテケテケ(こう聞こえます)と叩きながら進みます。
昭和61年第28回全日本こけしコンクールで文部大臣賞受賞作品です。
左・宅急便と右・D51です。
木地独楽作り日本一を誇る蔦さんの技を生かした動く玩具です。
蔦衛さんのうらしま(浦島太郎)です。
亀に乗った浦島太郎は海の中に入っていきます。
亀の前輪と後輪の大きさが違えてあるので、紐を引くと亀は上下に揺れるように進みます。
波に乗っている感じがうまく表現されています。
上左・乳母車と上右・駄々っ子、下段‣正ちゃん汽車です。
大正時代の漫画「正チャンの冒険」が大流行して一躍人気者になった正ちゃんがモデルです。
「正ちゃん帽」という言葉を聞いたことがありますが
この汽車ポッポの正ちゃんが被っているニット帽の事なんですね。
大砲です。子供の玩具に大砲…初作は大正時代につたや初代が作られたそうです。
砲弾が4個備えてあり、大砲に弾を込めて緑の丸い緑の引き金を引くと
バネの力で勢いよく砲弾が飛び出します。
軽く3~40?は飛んでいきます。単純だけど面白い!
(つたやさんはコロナ禍の影響もあって大変残念ながら2020年に廃業されました)
自動車と分類される組み合わせ式の玩具が各地で作られています。
人が乗っているものと自動車だけのものと二通りあるようです。
大正期の初め自動車がまだ珍しかったころ、
小田原から取り寄せたものを見本に遠刈田でリメイクしたそうです。
この自動車も最初はきれいに彩色された美しい作品だったと思いますが
残念ながら経年の為色が落ちてしまっています。でもちゃんと動きます!
木地玩具は丈夫で温かみがあり、いつまでも残って欲しいおもちゃです。
日本土鈴館
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豆本のご紹介です。
牧野玩太郎さん編集・赤坂吾笑亭さん作画・桝岡良さん刻刷による
「郷土玩具(おもちゃ)女」の25頁から50頁をご紹介します。
㉕㉖岐阜県市原土人形の女学生と御殿女中
㉗㉘滋賀県小幡土人形の松茸おふくと湯あみ
市原土人形の女学生たち
㉙京都伏見人形の撥持ち
㉚同じく伏見の珠取り海女
㉛㉜同じく乳呑み
左は伏見人形の乳呑み・右は今戸人形の乳呑みですが
おもちゃ絵のお母さんは左・伏見人形のお母さんと同じ雰囲気です。
一方、今戸人形のお母さんは江戸っ子っぽいのですが
這い這い子と紐で繋がる作りはおもちゃ絵と全く同じです。
深草の地で生まれた伏見人形と後に浅草の地で生まれた今戸人形のご縁を感じます。
㉝京都三宅の小原女
㉞京都宇治の茶摘み
㉟京都伏見人形の子抱き
㊱大阪住吉神社(種貸社)の種貸さん
種貸さんには良い種に恵まれる五穀豊穣、子宝・子授けのご利益があるそうです。
津塩家によって受け継がれた種貸社の授与品です。
㊲岡山県倉敷張子のお福
㊳広島県常石張子の猫抱き
㊴㊵広島県三次人形の子守と町娘
写真では伏見人形のお福かと思うほどそっくりな倉敷張子のお福と
艶々と光沢の美しくまさに光人形の名に相応しい三次人形の町娘です。
㊶鳥取県倉吉張子のはこた
㊷島根県出雲人形の犬連れ
㊸徳島県撫養の首でこ
㊹福岡県津屋崎人形の花魁
はこた人形も撫養・阿波の首でこもどちらも美白美人です。
㊺福岡県尾崎人形の三味線引き
㊻熊本県天草人形の山姥
㊼㊽長崎県古賀人形の馬乗り尼僧と西洋美人
日本三大土人形に数えられる古賀人形の西洋美人は長崎らしい国際的なモチーフで
モデルはオランダ商館長カピタンの奥さんとお嬢さんです。
右の天草の山姥は他の山姥と比べても大変美しく
天草の歴史を考えれば聖母マリアに見立て信仰の対象とされたことが理解できます。
㊾大分県竹田の女達摩
㊿鹿児島県帖佐人形の山姥
女達摩の背中には墨で宝珠が描かれていますが、
これには厄除けと子孫繁栄の願いが込められているそうです。
右の帖佐の山姥は経年の味わいが出ている貴重な作品です。
8?四方の小さな豆本は手に取ると和紙の温かみのある感触が伝わってきます。
パラパラとめくっていくと次々に現れてくる美女たち。
小さなおもちゃ絵の一つ一つにも背負っている背景や由来、言い伝えがあり
尽きることなく私たちを楽しませてくれます。
2回にわたって郷土玩具(おもちゃ)女をご紹介しました。
日本土鈴館
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おかげさまで、
今日、館長が93歳の誕生日を元気で迎えることができました。
昨年から一向に衰えを見せないコロナ禍にあっても
郡上市の手際よいワクチン接種のおかげで7月上旬には2回の接種も完了しました。
奈良井のからくりで遊んでます♪
本来なら、土鈴館の見学を再開しても良いと思っていたのですが
残念ながら、岐阜県にも緊急事態宣言が発出されてしまいました。
もうしばらくの間、原則として休館とさせて頂きます。
しかし、特別ご来館のご用事がある場合には事前にご連絡頂ければ
可能な限り対応させて頂きたいと思います。
昨年同様、夏の郡上の風物詩・郡上踊りが中止となり
加えてずーっと長雨で時には警報が出て通行止めも度々あった今年の夏ですが
気が付けばセミに代わって虫の音が聞こえてくるようになりました。
一日も早くいつも通りの生活に戻れますように。
多くの皆様と一緒に楽しく土鈴談議に花が咲きますように。
皆さまも残暑の折、どうぞご自愛くださいませ。
日本土鈴館
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豆本と呼ぶにはちょっとだけ大きいかもしれませんが
牧野玩太郎さん編集・赤坂吾笑亭さん作画・桝岡良さん刻刷による
郷土玩具(おもちゃ)女をご紹介します。
約8センチ四方の屏風たたみの絵本です。
秋田から鹿児島までの郷土玩具の美女たちが50頁にわたって紹介されています。
今日は1頁から24頁までをご紹介します。
??秋田県八橋人形の花魁と子抱き
?同じく秋田県小坂の(美しすぎる)山姥
?山形県酒田土人形の子連れ
?岩手県?田人形の三宝持
?福島県三春張子の鞨鼓
?埼玉県五関張り子の達磨背負い
?埼玉県鴻巣の練物・花魁
美しい舞姿の三春張子・鞨鼓
??千葉県芝原人形の下総雛と花魁
?東京江戸玩具のあねさま
?東京亀戸張子(船渡張子)の松茸おかめ
江戸玩具のあねさまは女の子の大好きな人形遊びに親しまれました。
亀戸張子の松茸おかめはなんと大胆な意匠でしょう!
?東京今戸人形の花魁
?新潟県村上人形の娘
?新潟県今町の花魁
?新潟県佐渡のあねさん
新潟県・村上人形
?富山県富山土人形の娘
?石川県金沢の鼓打ち
??静岡県清水の花魁と静岡の女学生
富山土人形渡辺信秀さんの娘
㉑愛知県竹島の弁財天
㉒愛知県名古屋土人形の花魁
㉓愛知県乙川土人形の狆抱き
㉔愛知県犬山土人形の女学生
名古屋土人形・野田末吉さんの花魁
百聞は一見に如かず
郷土玩具になった美女たちのおもちゃ絵をご紹介しました。
日本土鈴館
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館長の戦争体験を取材していただいた中京テレビのキャッチ。
お知らせはしましたが、中京テレビの視聴ができない地域の方や
見逃してしまった方のためにYouTubeで半年間視聴ができるそうです。
先回の記事でYouTubeのアクセス方法をご紹介しましたが
ここでもご覧いただけるように貼り付けてみました。
https://youtu.be/w7FDgGsXyYM
便利な世の中になったものだと改めて思いました。
ネットが苦手な館長も、これで好きな時に楽しめます。
中京テレビさん、ありがとうございました。
日本土鈴館
]]>皆さまこんにちは
先日の中京テレビさんのキャッチ。
多くの方々にご覧いただけたようで
「観たよ!」「お元気そうで何より」…とご連絡を頂きありがとうございました。
YouTubeの「中京テレビNEWS」にアクセスしてみてください。
【特集】終戦76年 戦争は正しい道ー13歳の僕はなぜそう信じたのか
この番組です。
半年間限定ではありますが、どなたでも番組がご覧頂けます。
若いころの館長がイケメンなんです!
さて…
今日ご紹介するのはいせ辰の豆本・縁起物です。
横幅約9?×縦約12?の豆本を開くと
屏風たたみになって縁起物のおもちゃ絵が現れます。
おもちゃ絵は横幅約7.5?×縦約9.5?で以前ご紹介したお伽噺より少し大きめです。
百聞は一見に如かず!
ページを開いて現れるおもちゃ絵をご覧ください。
凧と羽子板、打ち出の小槌とめで鯛…縁起がいい始まりですね!
江戸情緒達たっぷりの図柄です。
福助さんは縁起物の定番ですね。
達磨さんに招き猫…大入り間違いなし。
今日はいせ辰豆本・縁起物をご覧いただきました。
日本土鈴館
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Tokyo2020オリンピックが8月8日に閉会式を迎えました。
その中で郡上踊りの映像が流れてきて驚きました。
郡上市民が大切に受け継いでいる夏の風物詩・郡上踊ですが
コロナ禍のため去年に引き続き今年も中止となっています。
そんな状況下、五輪閉会式でかわさきや春駒の映像が流れてきて
聴きなじんでいるお囃子に思わず拍手していました。
さて、先日館長が中京テレビさんの取材を受けました。
3人のスタッフさんが暑い中ほとんど一日がかりで撮影を進めてくださいました。
中京テレビで夕方に放送されている生活情報番組・キャッチの取材でした。
8月12日4時からのキャッチで放送されるそうです。
今回は土鈴館そのものの取材ではなく、
館長の戦争体験に主眼を置いた取材だったと聞いています。
(邪魔をしないよう取材現場に行かなかったので私も知りません)
土鈴館には戦時下の日本の様子を表した土鈴が常時展示してあります。
76年前の終戦の日と戦争のもたらす悲劇を忘れないように戦時中の資料も展示してあります。
中京テレビのスタッフさんから8分を超える構成になったとの連絡がありました。
どんな放送が観られるのか、私も楽しみです。
ご視聴が可能な地域にお住いの皆様、
8月12日4時からの中京テレビ・キャッチをご覧いただけたら幸いに存じます。
日本土鈴館
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今日は鯨の郷土玩具をご紹介します。
多くはおもちゃ箱に掲載している一点限りの作品です。
和歌山県の観光土産に売られている鯨土鈴です。
古式捕鯨発祥の地として有名な太地には鯨に関する展示館があったり
鯨の郷土玩具やモニュメントがあったりします。
国際的な批判などを浴びて捕鯨を取り巻く環境は年々厳しくなります。
しかし、日本人が古くから生きる糧として捕鯨を行い
鯨に感謝し、その気持ちを郷土玩具や地域の祭礼に込めてきたのも事実です。
土佐の木製の鯨車です。
捕鯨漁師は一度漁に出ると長い間家に帰れず、
小さな和船で組を作って鯨を追い込みしとめるという漁はまさに命がけでした。
漁の合間に身近な木っ端を削って鯨を作り子供が喜ぶように車輪を付けて
このおもちゃを土産に家に帰る日のことを唯一の楽しみに過酷な日々を過ごしました。
同じ鯨車の土製(焼き物)のバージョンもあります。
古式捕鯨の盛んだった土佐のお土産として作られました。
車輪も鯨も焼き物で、美しく彩色されています。
台は木製で、鯨に誇らしげにつけられた綱は和紙のこよりです。
こちらは土佐張子の鯨車です。
昭和の終わり頃の張子人形です。
鯨の表情がとってもユニークでかわいいです。
確かに漁の対象でしたが、同時に鯨への感謝と愛情があふれています。
長崎の廃絶玩具・鯨の潮吹きです。
諏訪神社の祭礼、長崎くんちに7年に一度登場する万屋町の山車をモデルにした郷土玩具です。
この山車は江戸時代の古式捕鯨の様子を表した山車と言われ
幕末の頃から鯨の潮吹きの郷土玩具が作られるようになったそうです。
左右の胸ひれがゆらゆら動く仕掛けになっています。
昭和32年の年賀切手のモデルにもなりました。
こちらは長崎焼人形の土人形です。など
阿茶さん人形などで有名な作者の大久保平さんは
長崎焼人形の創始者・中原シノさんのお孫さんです。
昭和の中頃に一度中絶した長崎焼人形を祖母シノさんの型を使って復活されたのですが
大変残念なことに大久保さんも亡くなられて長崎焼は廃絶してしまいました。
ちょっと珍しい鯨ひげ工芸品の波のり鯨です。
鯨という生き物はそのすべてを人間のために役立ててくれます。
鯨歯は加工して美しい工芸品に生まれ変わります。
ヒゲ鯨の仲間の鯨ひげもまた加工してプラスチックのように使われたり
昔はゼンマイの材料としてからくり人形に使われたり
文楽人形の操作索に使われたりたくさんの用途がありました。
この波のり鯨もゆらゆらとのんきそうに揺れて和ませてくれます。
暑い毎日が続くので郷土玩具の鯨を見ていただいて
少しでも涼しい気分になっていただけたらと思います。
日本土鈴館
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Tokyo2020が開幕し、連日のメダルラッシュで久しぶりにスカッとしています。
開会式・・・ドローンで作った丸い地球には驚きました。
そしてなぜかジャズピアノとコラボした海老蔵さんの「暫」
東京浅草・助六の小さな首振りの暫人形です。
大きさの参考になればと思い名刺の上に並べてみました。
江戸玩具は小さくても立派な作りが一番のコンセプトですね。
さて、館長があちこち整理して普段見過ごしていたものが色々出てきました。
そんなものの一つ、豆本をご紹介します。
豆本…手のひらにすっぽり収まる小さな本。
西洋では16世紀頃聖書の豆本が流行し
中国ではもっともっと古くから巾箱本と呼ばれた豆本があったそうです。
日本では江戸時代に雛本、馬上本、袖珍本などと呼ばれる豆本がありました。
どれもどんなに小さい本かということを名前に込めています。
今回ご紹介するのは江戸千代紙・いせ辰さんのお伽噺です。
3.5×4?、厚さ1.5センチの千代紙で出来た包みを開くと三冊の豆本が出てきます。
浦島太郎・桃太郎・文福茶釜のお噺が屏風たたみになっています。
伸ばしてみると絵本になっています。
長い物語を象徴的な場面を切り取って分かりやすく展開してあります。
こちらのお伽噺は舌切雀、猿蟹仇討、金太郎です。
猿かに合戦が猿蟹仇討というタイトルです。
金太郎も山姥とのツーショットから始まっていて熊ではなく鯉にまたがっています。
この豆本はいつごろのものなんでしょうか。
こちらにも舌切雀がありますね〜
かちかち山と花咲爺です。
いせ辰さんは江戸末期から続く江戸千代紙、おもちゃ絵の老舗です。
歌舞伎模様にも通じる男性的な江戸千代紙は色使いがはっきりしているのが特徴だそうです。
絵師、彫り師、摺り師の手によって作られる千代紙は
姉様遊びや錦絵のようなおもちゃ絵として愛されました。
さすがいせ辰さんの豆本です。
小さな作品で絵師、彫り師、摺り師の技術が光ります。
豆本だけに小さくて、ずっと展示してあったのに見落としていました。
ほかの豆本もまたの機会にご紹介できればと思います。
日本土鈴館
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日本人はとてもオリンピックの好きな国民だそうです。
日本が初めてオリンピックに参加したのは1912年第5回ストックホルム大会。
初のメダルは第7回アントワープ大会、なんとテニスの銀メダル(熊谷一弥選手)でした。
1940年第12回東京大会は日中戦争のため大会返上となり、
日本でオリンピックが開催されたのは1964年第18回東京大会でした。
さらに、1972年には第11回札幌冬季オリンピック
1998年には第18回長野冬季オリンピックが開催されました。
オリンピックは国を挙げてのビックイベントでほとんどの国民が夢中になり
大会のたびにスーパースターや国民的ヒーロー、ヒロインが生まれました。
ベルリン大会を記念して作られた土鈴です。
1936年第11回ベルリンオリンピックはヒトラーの開会宣言で幕を開けました。
日本は競泳で4個、陸上で2個の金メダルを獲得しました。
この大会のヒロインは前畑秀子選手です。
200メートル平泳ぎに出場し、開催国ドイツの選手との接戦を繰り広げ
「前畑ガンバレ!」のラジオ実況中継に日本中が固唾をのんで聞き入る中
1秒の差をつけてゴール、日本人女性初のゴールドメダリストになりました。
2004年第28回アテネオリンピックを記念する土鈴です。
神戸土鈴友の会が京都土鈴・小山秀岳さんに依頼して制作されました。
土鈴の背面には誇らしげに日本が獲得したメダルの数が書かれています。
この大会のヒーローは柔道3回連続金メダルという偉業を成し遂げた野村忠宏選手
ヒロインは柔道2大会連続金メダルの柔ちゃんこと谷亮子選手です。
正に柔道は日本のお家芸でした。
2008年第29回北京オリンピックを記念する土鈴です。
今回も神戸土鈴友の会が京都土鈴・小山秀岳さんに依頼して制作されました。
この大会でも柔道、競泳、レスリングとメダルラッシュでした。
100mと200mの平泳ぎを制した北島康介選手がヒーロー
そして女子レスリングの吉田沙保里選手、伊調姉妹もヒロインですが
ソフトボールの女子チームの活躍も記憶に残っています。
2012年第30回ロンドンオリンピックの記念土鈴です。
今回の制作は佐賀県の多久土鈴・倉富博美さんが制作されました。
ボクシングの村田諒太選手の金メダルも嬉しかったのですが
個人的には内村航平選手の体操個人総合優勝を推したいと思います。
女子はレスリング、吉田選手や伊調馨さんの活躍が印象的でした。
さて、Tokyo2020です。
第32回のオリンピック開催都市が東京に決定したのが2013年9月8日でした。
多くの国民がオリンピックの日本開催を素直に喜びました。
「お・も・て・な・し」は流行語大賞になりました。
東京に決まったというだけでもう土鈴まで作ってしまうというから
土鈴愛好家は五輪愛好家でもあります。
今回も佐賀県の多久土鈴・倉富博美さんが制作されました。
そして、東京開催が決まった年に早くも
Tokyo2020五輪記念土鈴を作っていたのが日本土鈴館の館長です。
やはり多久土鈴・倉富博美さんに依頼して記念土鈴を50個作り
神戸土鈴友の会や愛鈴家のお友達にプレゼントしました。
ところが……
現在のこのコロナ禍を誰が予想したでしょうか。
オリンピックは1年延期され2021年7月23日に開会式を迎えます。
パンデミックの中のオリンピック開催という人類史上初めての大会になります。
今までのどのオリンピックでも経験したことのない
ある意味で、IOCやオリンピック関係者の大きな「賭け」のような大会です。
正直なところ本当に心配は尽きませんが、開催される以上は
どうか、無事にオリンピックそしてパラリンピックが閉幕できますようにと
開幕前から祈っています。
日本土鈴館
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江戸時代、新潟県西蒲原郡月潟村を発祥の地とする越後獅子が江戸市中で人気があったそうです。
元々は地元の神社に奉納するものだったそうですが
農閑期の出稼ぎとして子供を引き連れた親方が各地を回ったそうです。
角兵衛獅子とも呼ばれ、獅子舞の舞手は子供で獅子舞というより逆立ちや宙返りなど
曲芸師のような大道芸を披露して歩いたようです。
兵庫県姫路張子・松尾真肥さんの越後獅子です。
起き上がりになっていて、動くたびに中に入れられたガラが乾いた音で響きます。
可愛らしい子供が獅子頭をかぶって笑っています。
しかしこのお人形の笑顔とは違って、越後獅子は子供にとって過酷な重労働で
昭和の初めに児童虐待防止法により禁止されました。
さて、獅子頭のご紹介に入ります。
鳥取県倉吉張子の獅子頭です。
頭部に華やかにたくさんの羽毛が付けられのんびり穏やかな表情です。
耳の形もほかの獅子たちとは違う特徴的な形をしています。
倉吉の張子は備後の国から来た商人、備後屋治兵衛が初代とされ三好家に伝えられました。
200年の伝統を誇り、はこた人形や天神様などが作られました。
しかし6代目三好明さんで三好家(備後屋)の伝承は終わりとなり
現在は「はこた人形工房」の引き継がれています。
山形県・庄内板獅子の雌雄一対です。
江戸時代、俸禄の少ない下級武士が生活のために作り始めたようです。
魔除けの力を信じてお正月の縁起物として売られましたが次第に作られなくなっていきました。
伝統的な郷土玩具の保存のため丸金さんが復活されました。
石川県の加賀獅子です。千嶺作と箱に書かれています。
加賀獅子の歴史も古く、天正11年前田利家が金沢城入府の折、
その御前で獅子舞が披露されたことに由来するそうです。
加賀獅子は桐の一刀彫で金色の角を持ち、刀を銜えています。
加賀百万石の風土に合う美しくて品の良い獅子頭です。
岩手県のお土産に売られていたようです。
早池峰神楽の権現様がモデルのようです。
黒い顔にクルクルの巻き毛が特徴的な獅子頭です。
長めの筒状の布に手を入れて獅子頭を持てば獅子舞のように遊べる玩具です。
獅子舞ごっこなど、今どきの子供たちは知らないでしょうね。
今日も獅子頭のご紹介をしました。
日本土鈴館
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今日も獅子頭の郷土玩具をご紹介します。
島根県・出雲大社の獅子頭(板獅子)です。
本来は笹の枝に付けられて授与されるようです。
お正月の攘災招福の神事の際に用いられた獅子頭に因んで作られているようです。
板獅子がカスタネットのようにパクパクと口を開閉して音を出すのは
子供のおもちゃという意味合いもありますが、
獅子が人の災いや病気、悪さを及ぼす全てのものを
大きな口でパクパクと食べてくれるという願いが込めれてた姿です。
出雲大社の獅子頭土鈴です。
出雲大社参詣のお土産として売られていたものです。
以前にも書きましたが、厄払い魔除けの獅子頭が
音色に神聖な力を持つ土鈴になって多くの災い、特にコロナ禍を
しっかり押さえつけてほしいと切に思います。
え!こんな可愛い獅子がいるの?って思いますよね。
大分県別府・豊泉堂(宮脇弘至)さんの福獅子一対です。
1個の大きさは毛の部分を除いて3?×約4?ほどの小さな一対の獅子です。
宮脇さんは大分の廃絶玩具の復元に尽力され、
昔は木製であった福獅子を土製に復元されました。
福獅子は阿吽一対となっていて、阿(赤)の獅子には「七難即滅」
吽(白)の獅子には「七福即生」と手書されています。
香川県・讃岐の獅子頭です。雄獅子と雌獅子でいいのかと思います。
子供の手のひらにもコロンと乗るような小さな獅子頭です。
顔を覆うほどの長い毛が植えられています。
小さくてもしっかりした作りで、木型に和紙を何度も張り付け、
さらに何度も漆をかけてから着色、彩色するそうです。
神奈川県鎌倉宮の板獅子です。
出雲大社の板獅子に似ていますがこれはひと回りほど小さいです。
護良親王をご祭神とする鎌倉宮の拝殿正面には
「獅子頭守」と呼ばれる大きな獅子頭が安置されています。
この板獅子が参詣者の災いを食べつくしてくれますようにとの願いを込めて授与されます。
梅雨末期の集中豪雨の被害が毎日のように報道されています。
新型コロナの猛威も止まりません。
心配な状況の続くこの頃ですが、どうぞ皆さまも気を付けてお過ごしください。
館長も来週には二回目のワクチン接種が済む予定です。
元気に夏を乗り切ってまた皆様にお会いできる日が楽しみです。
日本土鈴館
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先回に引き続き各地に伝わっている獅子頭のご紹介をします。
富山県の高岡獅子頭です。
桐やホウノキを彫り込み、頭部には馬毛を植えるそうです。
この獅子には一本立派な角があり、一本角の獅子頭としても有名です。
お釈迦様が暴れる獅子を鎮めるため、
頭部に宝晶を埋め込んだとの伝説に基づいているそうです。
このやんちゃそうなお顔つきもあって孫悟空のお話を思い起こしました。
長野県の昼神小獅子、名前のとおり7?ほどの小さな獅子頭です。
作られるようになってからまだ30年あまりの新しいものですが
文化財のレプリカ制作などに用いる特殊な合成樹脂と木粉を混ぜ合わせて作られています。
丁寧に作られ、小さいながら堂々の面構えです。
熊本県人吉市の守護獅子一対です。
青井阿蘇神社には赤と緑(陰陽)の守護獅子が伝えられています。
子供の頭を軽くかませると無病息災の願いが叶うと信じられています。
この守護獅子のミニチュアが作られるようになったのは昭和の初めだそうです。
大きく口が開くように下あごの部分は厚紙を使って工夫がされていて
底の部分に「九州相良守護獅子」と朱印があります。
東京・芝大神宮の獅子頭土鈴です。
芝大神宮の9月の例祭はおよそ10日間ほど続くことから
別名「だらだら祭り」と呼ばれるそうです。
この例祭に御羽車と呼ばれる御輿に立派な獅子頭が安置されるので
獅子頭土鈴が授与されるようです。
もともと、土鈴はその音色に邪気を祓う神秘な力があると伝えられていますから
魔除け、厄除けの獅子頭が土鈴になれば最強というわけですね。
コロナ禍の中、皆さまになかなかお会いできない状況ですが
縁起の良い郷土玩具に囲まれているおかげでしょうか、館長は元気にしています。
長引くコロナ禍の収束を願って
次回も獅子頭のご紹介を予定しています。
日本土鈴館
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獅子舞と言って思い浮かべるのはお正月でしょうか。
それとも秋祭りなどの例祭で奉納される獅子舞でしょうか。
獅子舞は主に東南アジア諸国に伝わる伝統芸能のひとつで
一説には16世紀ごろ中国から伝わったとされているようです。
滋賀県・小幡土人形・8代目細居文蔵さんの獅子舞です。
「おめでとうございます」と言わんばかりに舞手が福々しく顔をのぞかせています。
獅子舞が日本各地に定着するようになった大きな理由のひとつが
大神楽と呼ばれる集団の存在で、獅子舞を披露しながら各地を行脚しました。
伏見土人形・丹嘉さんの大神楽です。
代表的な伊勢大神楽は現在も主に西日本の各地を巡りながら
伊勢神宮のお札を配り獅子舞で悪魔祓いをし放下芸(曲芸)を披露しています。
コロナ禍の今、この神事芸能でお祓いを受けたいと願う人も多いと思います。
獅子舞によって疫病除け、飢饉除け、災い除けのご利益を受けようと
昔の人は大神楽が回ってくるのをどれほど待ちわびたことでしょう。
獅子舞に被る獅子頭を小さな玩具にするようになったのは江戸時代だそうです。
山形県に伝わる酒田獅子頭、黒い雄獅子と赤い雌獅子です。
雄獅子は耳がぴんと立って、雌獅子は臥せた耳の向きを動かすことができます。
どちらも口を開けたり閉じたりできるようになっています。
銀山獅子とも呼ばれ、200年の歴史があるそうです。
酒田市では昭和51年の大火事からの復興にこの酒田獅子頭をシンボルにしたそうです。
現在も酒田大獅子一家に子獅子も加わり市民に愛されているようです。
どちらも埼玉県春日部張子・五十嵐健二さんの張子の獅子頭です。
右側の横向きの獅子頭は緑の布の中に糸の仕掛けがあって
糸を引いたり伸ばしたりすると口がパクパク動くようになっています。
岐阜県ほうずき工房・梶野加代子さんの飛騨獅子土鈴です。
飛騨の国は古来より木工技術に長けた飛騨の匠と呼ばれる名人がたくさんいます。
神具や神輿、獅子頭など高い技術が要求される伝統的な木工細工は
現在もこの地方で絶えることなく受け継がれています。
高山祭のからくり屋台の見事さは如実にそれを物語っています。
今日は一日も早いコロナ収束の願いも込めて獅子舞や獅子頭をご紹介しました。
日本土鈴館
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先回に引き続き三河大浜土人形の達磨をご紹介します。
今回は野田さんの型とは関係のない禰?田家のオリジナルの作品から
ユニークな達磨落としをご紹介します。
木地玩具の達磨落としと同じような作りになっています。
木地玩具は心棒になっている槌でコンコンと赤白緑の積み木をたたいて外す郷土玩具ですが
こちらは土鈴の作りになっているのでコンコンと叩くわけにはいきません。
崩したり積んだり眺めて楽しんでください。
こちらは達磨落としの桃太郎バージョンです。
達磨落としの横に小さな桃太郎が寄り添っていますが
いかめしい形相の鬼たちに比べてちょっと頼りなさげですが…
白く描かれている模様は禰?田さんのシンボルマークです。
こちらも変形型の達磨落としですが全部繋がっている一体型です。
てっぺんの童が越後獅子のような曲芸を披露しています。
きょうは禰?田さんのユニークな作品をご紹介しました。
日本土鈴館
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今年、郡上市は例年になく早くに梅雨入りをし、
通行止めの心配のあるほど強い雨が降ったりもしましたが
最近は梅雨とは思えないほどの晴天に恵まれています。
ただ、予報ではこの気持ちの良いお天気は今日までのようで
明日からは梅雨空が戻ってきそうです。
さて、今日は三河大浜土人形・禰?田徹さんの達磨をご紹介します。
この達磨さんたちは名古屋土人形・野田末吉さんの型を使って作られたものです。
はちまき達磨です。
睨みの効いたパンチのあるお顔です。
金色の子達磨も加わって、型は同じでも全く違う味わいの達磨が生まれました。
姫だるまです。
少しボーイッシュな感じの姫だるまですね。
達磨の胴部分に白く描かれた模様は禰?田さんのシンボルマークだと聞きました。
払子を持った達磨です。
右のおにぎりのような形の達磨にも金色の子達磨が加わりました。
参考までに野田さんの達磨たちもご紹介しておきます。
同じ型を使って同じ大きさでも、全く違う味わいの作品が生まれるところが
土人形や土鈴の面白くて興味深いところだと思います。
同じ赤色と言っても微妙に違う色味ですし特にお顔の表情は全く違います。
名古屋土人形は名古屋土人形らしく
三河大浜土人形はあくまでも三河大浜土人形らしく命が吹き込まれます。
今日は野田さんの遺された型を使って
禰?田さんに作っていただいた達磨をご紹介しました。
日本土鈴館
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福井県越前市に伝わる武生天神をご紹介します。
越前市武生(たけふ)地方は全国的にも屈指の天神信仰の篤い土地柄です。
昔からの風習で男子の初節句には
大きくて立派な天神様が母方の実家から贈られお祝いするそうです。
日本土鈴館の天神コーナーに飾り付けてある武生天神です。
随身も脇に控えて梅の花や鷽を飾っています。
中央に見えるのは堂内天神です。
86?×34?の木製の台座に座る天神様は横幅約90?、高さ約70?の大きさです。
添えられた太宰府の鷽がとても小さく見えます。
左右の随身も40?の高さがあり天神様に負けずとても立派です。
この地に天神信仰が根付いたのはこの地を治めた前田利家の影響だそうです。
前田利家は自らの祖先は菅原道真公であると信じていて
天神信仰に篤く、その影響で天神様を信仰する風土が生まれたようです。
武生天神と呼ばれるこの地の天神様の特徴は
木彫りの大きな人形だということです。
横幅約45?×高さ約30?の武生天神です。
後ろ姿にも威厳が感じられます。
さし首になっていて、笏や刀も差し込み式です。
木彫りの天神様はとても美しく彩色されます。
横幅約48?×高さ約36?の武生天神です。
脇差の握りが鳳凰のような作りになっていたり
天神様の袴の模様もとても美しく描かれています。
天神飾りには随身を伴うことも多く、
ひな祭りの段飾りのように天神飾りが豪華にかざられるそうです。
天神コーナーには今回ご紹介できなかったほかの武生天神も飾ってあります。
(大きくてケースから出せませんでした。)
武生天神に興味を持たれた方、お求めになりたい方がいらっしゃいましたら
直接館長にお尋ねください。
今日は武生天神のご紹介でした。
日本土鈴館
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先日、端午の節句によく飾られる熊金や鯉金をご紹介しました。
金太郎が山姥と赤い竜の子供であるという伝説も紹介しました。
今日は山姥と金太郎のお人形をご紹介いたします。
山形県・酒田土人形の山姥と金太郎です。
古い作品のようで、金太郎の両耳の付け根の髪は抜けて穴だけが残っています。
山姥は髪が残っていて整っていない髪形に山姥らしさの名残が見えます。
金太郎も金太郎らしい姿です。
酒田土人形は鵜渡川原土人形とも呼ばれます。
江戸時代の終わり頃から作られ伝えられてきましたが
4代目の大石文子さんが平成になって亡くなられ廃絶しました。
こちらも山形県・酒田土人形の山姥と金太郎です。
先の作品より山姥の表情が穏やかで金太郎も普通の幼子の姿になっています。
山姥の着物もきれいな花柄で母と子の優しい姿になっています。
鹿児島県・帖佐人形の山姥と金太郎です。
この地方の山姥と金太郎のお人形は隠れキリシタンの信仰の対象として求められたようです。
幕府の厳しい取り締まりの目を逃れながら信仰を守るため
このようなお人形をマリア様に見立てて大切にしました。
400年の歴史を持つ帖佐人形は現在も姶良市で制作されています。
ただ昭和の初めには中絶した時代もあったそうで
昭和40年代に立ち上がった帖佐人形保存会のご尽力で再現に成功しました。
熊本県・天草土人形の山姥と金太郎です。
こちらも山姥と金太郎の像にマリア像を重ね隠れキリシタンに信仰されていました。
山姥とは思えない美しい姿はマリア様だからでしょうか。
天草土人形は7代にわたって広田家に伝わりながら廃絶しました。
しかし天草土人形保存会が立ち上がり伝統の継承が試みられているそうです。
こちらが復活した天草土人形です。
新しい作品には時代の嗜好や現在の文化や暮らしの要素が加わっているような気がします。
最後に博多人形師・後藤祐二さんの母と子の博多人形です。
山姥と金太郎の姿には程遠い気もしますが
マリア様や滋母観音のモチーフの先には山姥と金太郎の姿も見える気がします。
山奥に棲み人を喰うとされる恐ろしい山姥も
子供を抱くと愛情にあふれた母の姿になり、慈しみの心が溢れます。
今日は山姥と金太郎のお人形をご紹介しました。
日本土鈴館
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先回に続き東京の郷土玩具・今戸人形のご紹介です。
白井家によって復元された子抱きです。
いまどき人形・吉田さんのブログを拝見して分かったことですが
戦後今戸人形の復興に当たっては
郷土玩具コレクターの袴田穣さんが戦火を逃れ大切に保管していた春吉翁の子抱きを
型取りのため白井家に提供され、この人形が復活したのだそうです。
この子抱きは今戸人形の多くの作品の中でも有名な型だそうです。
彩色は昔のものと比べて多少今風になっているそうです。
小さな子抱きと母子のお人形です。
右の作品の幼子はハイハイをしています。
幼子とお母さんは糸で結ばれていて、お母さんの背中にある輪を引くと
幼子がハイハイするように近づいてくる仕掛けになっています。
仕掛けというほどのものではなく糸で結ばれているだけなのですが
幼子がお母さんめがけて這っていく様がなんとも温かい気持ちになります。
4?×5?の小さなおひな様もありました。
背面は平らになっていて「今土焼」の印が押されています。
今戸人形には猫や狐のほかの動物もいます。
神猿と虎の招きです。
いかにもタイガースフアンが喜びそうな元気な虎招きです。
左はいまどき人形・吉田義和さんの小判を銜えた蛇です。
右は館長が袴田穣さんから譲り受けた猪です。迫力満点の面構えです。
廃絶の危機を乗り越えて現在に受け継がれている今戸人形のご紹介でした。
日本土鈴館
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今日は東京浅草の今戸人形をご紹介します。
江戸時代の中頃、浅草今戸町界隈で作られるようになった今戸焼は
瓦や生活雑器など人々の暮らしに必要な焼き物を中心に作られていました。
派生的に土人形や工芸品なども作られるようになり今戸人形として人気を集め
江戸の終わり頃には職人50人ともいわれるほど盛んなだったそうです。
河童の火入れです。
作品の底に「今土焼 白井代作 昔の火入れ」と書かれています。
煙草の火だねを入れておく火入れは日常生活に必要な道具ですが
このように意匠を凝らした火入れが作られていたようです。
客寄せ河童と呼ばれる今戸人形です。写真は復元制作されたものですが
最後の今戸焼職人と言われた尾張屋・金沢春吉さんの作る河童は独特の色合いでした。
河童の火入れも尾張屋の代表的な作品だったようです。
盛んに作られた今戸焼も時代の流れに押され大正期には職人の数も一桁になったそうです。
尾張屋の金沢春吉さんが中絶した今戸焼の復興に尽力されたのですが
春吉翁の死後再び今戸人形が途絶えてしまいました。
戦後になって、代々今戸職人をされてきた白井家が今戸人形の復興に尽力されました。
昔から伝わる型を集めたり人形から型を起こしたりして今戸人形を復活させました。
白井家の俵ねずみです。
米俵の後ろに「来富」と彫り込まれています。
口入狐です。
玉姫稲成神社の境内にある口入稲成で授与されます。
座った口入狐のほかに立ち姿の羽織狐があります。
一般的なお願い事には羽織狐、良縁祈願には座った口入狐を授かるそうです。
写真右の背の高い羽織狐はいまどき人形・吉田義和さんの作品です。
吉田さんもまた、今戸人形の復活に向けて研究を重ねられ
春吉翁のご遺族の承認の元、春吉翁の作品に忠実な今戸人形を制作されています。
吉田さんの三すくみです。
ナメクジは蛙に食べられるが蛙は蛇に食べられる。
しかし蛇はナメクジを食べると体が溶けて死ぬから食べられない。
三匹それぞれ苦手を抱えて三すくみです。
今日は今戸人形をご紹介しました。
日本土鈴館
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端午の節句について調べてみました。
端午の「端」という漢字は始まりという意味を表すそうです。
そういえば、端緒とか発端とか、始まりを表す意味でよく使われています。
端午の「午」は旧暦の午の月、すなわち五月を指すそうです。
昔は五月の最初の午の日に五節句のひとつ、端午の節句をお祝いしたようです。
次第に五が重なる5月5日が端午の節句として定着しました。
千葉県・芝原人形の熊金、千葉惣次さんの平成元年の作品です。
端午の節句は古代中国の屈原という人物を供養するための行事ともいわれますが、
端午や夏至に粽を食べたり
朝鮮ヨモギで作った人形や菖蒲の葉を戸口につるして厄除けするなど
中国の風土に合った独特の風習が広く定着していたようです。
愛知県・犬山土人形の熊金です。
熊を仔犬でもあるかのようにひょいと摘み上げる逞しい金太郎です。
強くてたくましい象徴的な金太郎。
その昔、金時山で山姥と赤い龍が結ばれ、生まれた子が真っ赤な体の金太郎でした。
丈夫に育った金太郎は八重山や足柄峠を駆け巡ぐり
熊やたくさんの動物たちと相撲を取って遊びました。
やがて都の武将源頼光に認められ京に上り
坂田公時(きんとき)と名乗り頼光四天王の一人として輝かしい武運を収めました。
このような人物でしたから、端午の節句には金太郎の人形を飾るようです。
左が京都・伏見人形の熊金、右が岩手県・花巻人形の熊金です。
どちらも真っ赤な体の逞しい金太郎に強い生命力を感じます。
日本に入って端午の節句は武家に好まれました。
女性的な雛遊びは公家に好まれましたが菖蒲は尚武につながることから
特に江戸時代になってから甲冑や幟、勇ましい人形を飾って
男の子の節句として武士や町民に定着したようです。
菖蒲の葉の形が刀に似ていることも武家らしい発想です。
当然立身出世や武運長久、力強さを求めるお節句となりました。
赤くない熊金もたくさんあります。
左が秋田県・八橋人形の熊金です。きれいすぎない素朴さが魅力です。
右が奈良県・初瀬出雲土人形の熊金です。
現在制作されているものは違いますが、昔の作品は写真のように絵の具がすぐに落ちてしまい
触ると指に絵の具がついて「ベト人形」などと呼ばれていました。
日本各地にそれぞれの土地柄にあった熊金がいます。
姿形はずいぶん違いますが、どれも子供の健やかな成長を願い、
長じて立派な人になりますようにとの親心が込められています。
昨年同様に強く自粛が求められる連休ですが
ステイホームしながらそれなりに楽しい休日をお過ごしください。
今日は熊金のご紹介でした。
日本土鈴館
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いよいよゴールデンウィーク、そしてもうすぐ子供の日です。
しかし昨年同様今年もコロナ感染症の猛威が収まらず
先日緊急事態宣言が東京、大阪、兵庫、京都に発出されました。
宣言から外れた地域でも同じように不要不急の外出は強く自粛が求められます。
この先どうなってしまうのか…鬱々とした気持ちになりがちです。
でも、そんな時は青空を気持ちよさそうに泳ぐ鯉のぼりのように
悠々と自然体で今の困難を乗り切っていきましょう。
(というものの、今日は雨ですね…)
札幌・陶玄舎・橋本紀比古さんのこいのぼりと金太郎の土鈴です。
橋本さんの作品は色使いがとてもやさしくて美しいです。
昔は金太郎や子供大将などの土人形を飾って端午の節句をお祝いしたようです。
愛知県・犬山土人形の子供大将と兵庫県・稲畑土人形の大将です。
甲冑姿の勇ましいお人形は今でも五月人形として飾られていますが
昔はこのような土人形が金太郎などの土人形と一緒に飾られたようです。
名古屋土人形・野田末吉さんの鯉抱き金太郎です。
高さが40センチもある大型の土人形で館長の宝物のひとつです。
向きを変えて撮影しましたがどちらも捨てがたく両方掲載しました。
もみあげには糸が使われています。
新潟大浜土人形(村上人形)の鯉金です。
全体に丸みを帯びて明るく優しい色使いが特徴の郷土玩具です。
緋鯉はしぶきをあげて急流を登ろうとしています。
良く知られているように滝を登った鯉は竜になると言います。
中国から伝わった登竜門伝説で、
古代中国夏朝の時代、黄河上流の竜門山を切り開いてできた急流を竜門と呼びました。
激しい流れを登りきる鯉がいるなら竜にもなれると言われたことから
立身出世の関門を登竜門と呼ぶようになったそうです。
岐阜県・市原土人形の鯉抱き金太郎です。
正面もいいのですが、後ろ姿がとても生き生きとしています。
金太郎の力いっぱいの様子が腰や手足によく表れています。
鯉も背面からの表情がダイナミックです。
山形県・酒田土人形の鯉金です。鵜渡川原人形とも呼びます。
逞しいというより可愛く無邪気な幼子のような金太郎です。
明治の初めころから作られるようになった郷土玩具ですが
平成の初め、4代目大石文子さんが亡くなられて廃絶となってしまいました。
とやま土人形の鯉乗り金太郎は今風の可愛らしい鯉金土鈴です。
ちょっとしたスペースにも飾りやすく
小さな子供たちにも親しみやすい金太郎です。
端午の節句にこいのぼりや鯉金を飾ってお祝いするのは
今も昔も変わらない、子供の健やかな成長を願う親心なんですね。
日本土鈴館
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名古屋土人形・野田末吉さんの猫をご紹介します。
野田末吉さんは館長が一番強く心に残っている作家さんです。
野田さんのお若いころからのお付き合いというわけではないのですが
一度お会いしてからはその作品に魅せられて
足繫くお訪ねして作品を作っていただいたとのことです。
10?ほどの猫抱きお福の土鈴です。
両手をあげて抱かれる猫と優しそうなお福さん…まさに福招きの最強コンビです。
お福さんの足元や後ろ姿に上品な色っぽさを感じます。
着物の裾模様もとても美しいです。
お福さんに抱かれた猫と同じように両手を上げた招き猫土鈴です。
そして右側は彩色前の作りかけの招き猫です。
型に入れて貼り合わせ、表面を滑らかにして、細かい彩色を施すとやっと完成です。
片手あげの招き猫土鈴もあります。
髭のあたりに黒いブチがあり、竈猫のようです。
垂れ目気味で愛嬌があります。
館長が宝物と呼んでいる大型の招き猫土鈴です。30?近い大きさです。
大きさを比べるために先に紹介した両手招き猫と並べてみました。
野田さんは1〜2?のごく小さな土鈴から
ひとかかえもあるような大型の作品まで自由に作りこなすことのできる作家さんでした。
座布団の上で丸くなっている極小の猫土鈴です。
猫は2?ほど、座布団は3?四方の大きさです。
振るとほんのかすかに「チリチリ」と何か感じるものがあります。
立派な座布団を作ってもらっています。
館長が野田さんと親しくお付き合いさせて頂けるようになった頃、
野田さんの体力は衰え始めていらしたようで
「遠山さん、もう少し早く知ってればね」とよく仰っていらしたそうです。
野田さんとの凝縮した時間が作品と同じくらい大切な館長の宝物のようです。
今日は名古屋土人形・野田末吉さんの猫をご紹介しました。
日本土鈴館
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4月の初旬、枝垂れ桜がきれいに咲きそろった頃に小さなお客様が来ました。
1歳4か月になった館長のひ孫が初めて土鈴館を見学しました。
薄暗い館内、鬼や天狗のお面がずらりと並ぶぬくもり通り、
天神様や福助、だるまやいろいろな土人形に迎えられてこわごわと奥に進みます。
土鈴館の一番奥の展示室、アジア館はお気に入りでした。
抱っこをやめて自分で好きなところを回り始めました。
ドラえもんやアンパンマンを見つけて大興奮しています。
小さな指をさして自分のお気に入りを教えてくれます。
一緒に回っている館長よりもどんどん先に進んで行ってしまい、
館長は最近愛用している押し車を使ってもなかなか追いつけません。
でも突然立ち止まってじっと展示ケースを見つめています。
その先にあったのは…
ミャンマーのお面がずらり。
しばらく固まっていましたが「バイバイ」と小さな声で呟いて方向転換です。
令和生まれの幼子にも昭和のおもちゃは人気がありました。
私たちには懐かしく、小さな子には初めての新しい昭和のおもちゃです。
アジア館には懐かしい昭和のおもちゃのほかに
館長が回ったアジア各国の旅の思い出の品々なども展示されています。
あまりご紹介してこなかったアジア館ですが
昭和を懐かしむ大人にはもちろん、
小さな子供たちにも人気のある展示物がたくさんあります。
今日はひ孫と館内を回って楽しいひとときを過ごした館長のご紹介でした。
日本土鈴館
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今年は全国的に桜の開花が早く、見ごろも終わって葉桜のところもあるようです。
土鈴館の枝垂れ桜も4月の初めに満開になり
例年より早く美しいピンクの花を咲かせてくれました。
今年も館長が元気にお花見ができてとても嬉しいです。
さて、十二支になっていないので干支飾りのようにご紹介できなかった猫。
今日も郷土玩具になった猫たちをご紹介します。
岐阜県・ほうずき工房の招き猫を抱いたお福さんの土鈴です。
結構大型の土鈴ですからずっしりと重いです。
制作者の梶野加代さんは他にもたくさん猫を作っておられます。
招き猫や俵を担いだ力持ちの猫やバイオリンを奏でる猫…
ご覧いただいてお分かりのように
全て最初から古びた趣を出すために古色の技法が用いられています。
土鈴館に何十年も展示してあるからではなく新品の時からこんな感じでした。
梶野さんの作品には古色の技法が多く見受けられます。
一昨年、58才という若さで急逝された張子、土鈴作家の海老天たまこさんの作品です。
明るくておちゃめな”たまチャン”らしいラブリーな猫ちゃん土鈴です。
岐阜県郡上市は郡上踊りで有名な地域です。
郡上八幡がよく知られていますが、市内の各地域ごとにもそれぞれの盆踊りがあります。
当館のある郡上市白鳥町は白鳥踊りとして同じように夏の夜を踊り明かします。
演目のひとつに猫の子という民謡があり
それに合わせて浴衣姿で盆踊りをする猫土鈴を海老天たまこさんが制作されました。
後ろには八幡城と清流長良川、郡上鮎が描かれています。
大阪の住吉大社は郷土玩具の宝庫です。
その住吉さんの授与品のひとつに初辰猫があります。
商売繁盛、家内安全のお守りです。
毎月最初の辰の日(初辰)にお参りしてひとつ授かります。
48個揃えて四十八辰すなわち始終発達。洒落てますね。
揃えるのに4年もかかりますがご利益絶大かもしれません。
裃姿の初辰猫も有名です。
今日も猫の郷土玩具をご紹介しました。
日本土鈴館
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今年の桜は開花が早いですね。
土鈴館の枝垂れ桜も例年より早く咲き始めました。
今年は早くお花見をしないと…
さて、猫は犬と並んでペットとして多くの家庭で可愛がられています。
昔の暮らしでは今のペット事情とは違い、主にねずみの駆除のために飼われていました。
イエネコと言われる猫のご先祖はリビアヤマネコというヨーロッパヤマネコの仲間だそうです。
犬は古くから猟犬や番犬として重要な役割を担うから大事に飼われていたようですが
猫はその後、農業が広まりそれに伴ってネズミの被害が発生するようになってから
大切な穀物を守るために飼育されるようになりました。
今では豪華でおいしそうなキャットフードは当たり前、
冷暖房の効いた快適な部屋で一日中気ままにのんびり過ごし、
気が向いたらご主人に甘えて暮らしているようです(うらやましい…)
さて、羨ましがってばかりもいられませんから猫の郷土玩具をご紹介します。
群馬県・高崎張り子の招き猫です。
もっとも有名な招き猫のひとつではないでしょうか。
高崎だるまで有名なこの地方は赤城おろしと呼ばれるからっ風が強く吹きつけます。
この乾いた上州のからっ風は張り子作りには最適な気象現象です。
地の利にも恵まれて、高崎張り子の達磨や招き猫は盛んに作られています。
愛知県・三河大浜土人形の招き猫、55?ほどの大作です。
作者は三代目の禰?田徹さんです。
こんなに多くの招き猫が同時に招くのですから縁起のよさは抜群です。
段積みになった猫は5匹で、中ほどの猫は土鈴の作りになっているので
抱えて揺すればコロコロと音色が響きます。
しかし、大きい作品なので音色を響かせるのも一苦労です。
こちらは愛知県・楽猫庵さんの招き猫土鈴です。
同じ型から作られた兄弟猫でしょうが、絵付けでそれぞれの個性が出て面白いです。
どちらの作品がお好みですか?
とても迷いますが、私は鼻にブチのあるオレンジ猫が好きです。
京都・龍虎堂のおじぎ福猫土鈴です。
正装して神妙に頭を垂れている夫婦らしき福猫の土鈴です。
おじぎで隠れている猫のお顔をのぞいたらとっても可愛らしいお顔でした。
滋賀県・江州物産(中野和彦)さんの猫土鈴です。
普通の招き猫とは違うとても艶っぽい招き方をしています。
お顔はもちろん、正面に組んだ手も、後ろ姿のしなやかさも魅力的な猫土鈴です。
郷土玩具になった猫のご紹介でした。
日本土鈴館
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今日も郷土玩具になった猫のご紹介です。
今まで主に猫の土鈴をご紹介してきましたが、土鈴も含めて土人形や張り子人形など
日本の各地で作られてきた猫の作品を見てみたいと思います。
最初は東京・今戸人形のご紹介です。
まるで敬礼しているみたいな招き猫です。
作者の吉田義和さんは戦争によって中断してしまった今戸焼の再興を願って
今戸の古作などを研究し、隅田川沿いの土にこだわって制作されているそうです。
こちらも吉田さんの丸みを帯びた招き猫です。
少し横向き加減に招いているお顔が愛らしいです。
岩手県・花巻土人形・平賀章一さんの竈猫土鈴です(再掲)。
花巻土人形といえば梅の花が描かれるという特徴がありますが
この猫にはとても豪華に描かれています。
首周りの模様も華やかで見応えがあります。
かまどの煤を塗りつけたお顔が愛嬌たっぷりです。
こちらは千葉県の佐原張子・鎌田芳明さんの張子人形です。
佐原張子は鎌田芳明さんのおじいさん、清太郎さんが初代です。
おじいさんの型を引き継ぎながらも、オリジナルな作品を制作されています。
長崎県の代表的な郷土玩具・古賀人形の猫です。
小川家に400年にわたって受け継がれている古賀人形は
伏見・堤と並ぶ日本三大土人形のひとつです。
子供の落書きのようなお顔の描き方が面白いです。
長崎県・南蛮屋さんのバテレン猫です。
のっぽの猫は土人形、もう一つは土鈴になっています。
長崎の土地柄をよく表したバテレン猫…
江戸の初め、来日したカトリックの司祭を当時の人はバテレンと呼びました。
ポルトガル語のパードレpadreを伴天連と表現したようです。
招き猫のお面もあります。
富山県・五箇山張子のお面です。
豊富な雪解け水で育つ楮を雪で晒して作られる五箇山和紙を使います。
長くて丈夫な繊維が特徴の五箇山和紙の質感が作品からも伝わってきます。
今日は猫の郷土玩具をご紹介しました。
日本土鈴館
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春のお彼岸に入り、あたたかな日が続いています。
暑い寒いも彼岸まで
昔の人の言葉のとおりに季節は進んで行きます。
今日も福を招く縁起のいい招き猫を中心に猫の土鈴をご紹介します。
起土人形(富田土鈴)・中島一夫さんの招き猫土鈴です。
中島さんは目に黄色の着色をされることも多かったのですがこの猫たちは白目のままです。
体色の白色が真珠のようにきれいで花模様の首輪が引き立ちます。
中島さんは十二支全ての招きを作っていらっしゃいますが
やはり本家本元の猫の招きは素敵です。
岩手県・花巻土人形の大変美しい竈猫土鈴です。
底には作者平賀章一さんの達筆なサインが書かれています。
三重県・方隆窯の招き猫土鈴です。
実は土鈴になっているのは顔の部分で首土鈴が体に乗っています。
このユニークな作品の制作者・篠田正隆さんは土鈴の収集家だったそうです。
愛鈴高じてついにご自身で方隆窯を作られてたくさんの土鈴を制作されました。
真っ白で上品な感じのこの土鈴は佐野土鈴・相沢市太郎さんの作品です。
きれいなブルーの瞳が印象的です。
ちょっと控えめな招きの手ですね。
滋賀県・中野和彦さん(江州物産)のラブリーな招き猫です。
ピンクのハートに赤い「幸」の文字。
たくさんの幸せを招き寄せてほしいです。
こちらも中野さんの作品です。
しなやかな体つきでとても色っぽく招いていますね〜
とやま土人形のだるま抱えの招き猫土鈴です。
猫のお顔がアニメのように愛くるしいのは大きな瞳のせいでしょうか。
今日は招き猫を中心に白猫の土鈴をご紹介しました。
日本土鈴館
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十二支には入れなかった猫ですが自身の魅力でぐんぐんと人気者になりました。
招き猫は縁起の良い郷土玩具の定番です。
先回ご紹介した高山八郎さんの大きな招き猫も土鈴でしたが
今回は色々な招き猫土鈴をご紹介します。
神奈川県相模土鈴・相沢伊寛さんの黒招き猫土鈴です。
右手を耳より高く上げた「手長」の招き猫です。
一般に右手を上げた招き猫は金運を招くと言われ
「手長」の招き猫は遠くの方からもたくさん招き寄せると言われています。
この黒猫はそのおかげか、大判小判がザックザクの福招きですね。
広島・中国山地土鈴の「幸」白招き猫と「福」黒招き猫の土鈴です。
右手でも左手でも招いてお金も人も招いて幸福になります。
作者の市岡節義さんは中国山地を中心に古くから伝わっている
比婆荒神神楽・備中神楽・岩見神楽などの神楽に使われる能面を題材に
たくさんの土鈴を作られましたが、このような招き猫も制作されました。
福岡・古型博多人形の招き猫土鈴です。
男達磨と女達磨を抱えた白い招き猫の目は金色に光っています。
作者は中ノ子勝美さんです。
このユニークな招き猫土鈴は滋賀県・江州物産(中野和彦)さんの作品です。
手にした猫の手の風船でいっぱい福を招いてくれています。
面白い発想ですね!
神奈川県・蝉丸工房の両手招き猫土鈴です。
1992年に北鎌倉で制作活動を始めた造形作家蝉丸さんは主に猫の作品を手掛けています。
日本各地で個展を開催して芸術的な猫の作品を発表されていますが
芸術的な作品とは別にこのような招き猫の制作もしています。
ずっしりと重い作りの土鈴です。
今日は招き猫の土鈴をご紹介しました。
これからもたくさんの猫ちゃんをご紹介したいと思っています。
日本土鈴館
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毎年ひとつづつ干支を迎えて12年で十二支を一巡りします。
干支飾りをしたり、年男とか年女とか、何かしら干支は生活に根付いています。
しかし身近な猫は十二支に入れませんでした。
諸説あるようですが、よく言われるのは
ネズミに騙されて神様への挨拶が遅れてしまったから。
また、お釈迦様が倒れた時、薬草を探しに出たネズミを猫が食べてしまい
薬草が届かないためお釈迦様が亡くなられてしまったから。
元々中国が起源の干支十二支では馴染みのある動物を選んだのですが
その頃の中国で猫はまだ身近な生き物ではなかったからともいわれています。
岐阜県・市原土人形の座り猫です。
古い土人形で首周りの彩色に剥がれがみられます。
身体の丸みや佇まいがとっても猫らしいです.
岩手県・花巻人形の竈猫だと思います。
東北の冬は寒く寒がりの猫にはつらい季節です。
かまどのそばで暖をとりながらご飯を待っているうちに口の周りに煤がついてしまったり、
かまどの火が落とされてから朝までの間、ぬくもりが残ったかまどに入りこんで
翌朝煤や灰だらけになって出てくる猫を竈猫と呼ぶそうです。
干支には入れませんでしたが、
こんな風に猫は暮らしに溶け込んでいてその存在感は十二支にも負けません。
愛知県・三河旭土人形、高山八郎さんの招き猫三体です。
赤猫、白猫は大型の土鈴、黒猫は土人形です。
大型と言えばこんなに大きな招き猫土鈴も展示してあります。
二匹並んだ招き猫で、右側にちょっと映り込んだ白猫の倍以上ある大きさ(約70?)です。
高山八郎さんがお元気なころ
こんなの作ってみたよ〜とこの大きな土鈴を担ぎこんでこられたそうです。
大きすぎて振るに振れない土鈴です。
瀬戸物の三毛猫の招き猫です。
土人形と違って表面が滑らかで光沢があります。
東京・今戸の招き猫の火入れです。
煙草の種火を入れておいたりちょっと手をあぶったり。
今戸焼が生活雑貨を焼いていたことから
今戸人形はこのような火入れの作品が多く見られるようです。
戦後廃れてしまった今戸人形の復活を目指して制作を続ける吉田義和さんの作品です。
猫ブームと言われ愛くるしい猫の画像がSNSにあふれています。
今日は猫の郷土玩具をご紹介しました。
日本土鈴館
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今日は車玩具(カタカタ)と呼ばれる郷土玩具をご紹介します。
仕掛けは単純ですが子供達が喜んで遊んだおもちゃです。
カタカタと呼ばれる木の押し車で遊ぶ幼児の姿が懐かしいですね。
真如堂の牛車です。
京都・真正極楽寺は通称真如堂と呼ばれる古刹です。
11月初旬のお十夜念仏にはたくさんの信者が夜通しお参りするそうです。
昔からそのお土産に牛車が売られていましたが
昭和50年代に西沢工房がミニチュアサイズで復元したもののひとつ、カタカタです。
三輪で動き、動くと荷台の4本の板が交互にカタカタと音を立てて上下します。
和歌山の米搗きお蔵です。米かち車とも呼ばれるそうです。
後方の大きな2輪と前方の小さな2輪の四輪で動き、
その度に板が上下してカタカタと音が鳴ります。
米の字が模様に組み込まれていて面白いです。
精米したお米など売っていないころ、このような米搗き車が町を回って来たそうです。
生活の中から生まれたおもちゃです。
徳島の藍搗きお蔵、お米ではなく藍を搗きます。
徳島は戦争前までは藍の名産地で藍の一大集積場でした。
いくつもの藍蔵が立ち並んでいて
その様子をこのような郷土玩具に作ったのが昭和10年頃だそうです。
戦争で焼失した藍蔵の面影を伝える唯一の郷土玩具となってしまいました。
今日は車玩具・カタカタのご紹介でした。
日本土鈴館
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立春を過ぎて少し暖かい日が続いていたところに
強力な寒気がやって来て昨日は深夜から大雪となりました。
町中総出の除雪の一日となりましたが、
真冬の雪と違って凍り付くこと少なく、やはり春は近いと感じます。
さて、丑年ということで干支飾りのご紹介をしてきましたが
今日は寝牛に絞って見てみたいと思います。
寝牛起き馬という言葉があります。
牛は臥せているのが好きで馬は立っているのを好むことから
人の好みは様々だというたとえです。
確かにのんびり臥せっている牛はよく見かけます。
牛が横になって寛いでいるとき、
実は牛の体内では草を消化して生きるための一番重要な作業をしているそうです。
滋賀県・小幡土人形の寝牛です。
お腹いっぱい草を食べてのんびり寛いでいるさまがよく表れています。
福島県・すか川土鈴、少年と牛の心和む作品です。作者は菊地瑞成さん。
牛が大きいですね〜。
昭和45年、脱サラして六桃窯を起こし洒落の効いた土鈴などをたくさん制作されました。
しかし残念ながら一代限りで廃絶です。
大阪・堺湊焼の寝牛土鈴です。ゆるいお顔が可愛いです。
のんびりゆったり過ごしています。
寝牛は撫で牛を指す場合も多いようです。
天神様の参拝の折、境内の撫で牛を撫でて願掛けすることも多いです。
和歌山の瓦諸玩具のひとつ、瓦牛です。
瓦諸玩具にはほかに瓦猿、瓦ガマがあります。
古くから屋根瓦と同じ素材で作られています。
瓦牛は牛が草を食べることから「クサ」即ち子供の腫物、皮膚病を治すお守りとして
津泰(つばた)天満宮で授与されてきました。
最近は合格祈願や就職祈願にも授けられるそうです。
愛知県・岩津天満宮の臥牛像の土人形です。
参詣のお土産に作られた物だと思います。
岩津天神の撫牛も願い事を唱えながら撫でると願いを叶えてくれるそうです。
寝牛の身体を撫でて悪いところを治してくださいと願い
お参りをしてからお土産としてこの寝牛を連れて帰ります。
名古屋土人形・野田末吉さんの寝牛土鈴です。
野田さんは栄国寺の寝牛を題材にした土鈴をよく作られました。
この東海郷土玩具の会の記念品は野田さんには珍しく横幅約16センチの大きめの土鈴です。
こちらも野田さんの寝牛土鈴です。
クタンと寝そべって、まるで柔らかいお餅のような可愛い牛です。
今日は寝牛の郷土玩具をご紹介しました。
日本土鈴館
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今年の干支飾りをご紹介しています。
今年は丑年、牛と言えば……天神さまでしょうか。
では牛乗り天神を見てみましょう。
広島を代表する郷土玩具のひとつ・三次土人形の寝牛乗り髭天神です。
松本栄一さんの作品です。
大変美しい天神様で光人形とも呼ばれる三次人形のつややかで気品のある作品です。
台座に乗った寝牛と天神様が一体となっているようです。
どちらも愛知県起土人形・中島一夫さんの作品です。
左の白い牛に乗った天神様は土鈴です。
右の灰色の牛に乗った天神様は土人形です。
白牛は起土人形(富田土鈴)の特徴的なパールっぽい白牛です。
灰色の牛はちょっと珍しい気がします。
どちらも起土人形の展示ケースでご覧いただけます。
名古屋土人形・野田末吉さんの小さな牛乗り天神土鈴です。
黒牛はきりっとした表情ながら優しげで、
天神様は華美にならないお衣装で親しみがわきます。
野田さんの作品は小さなものが多いため、毎年の干支飾りには展示せず、
起土人形と向かい合わせの名古屋土人形の展示ケースでご覧いただけます。
岩手県遠野の附馬牛(つきもうし)人形の牛乗り天神です。
作者は佐々木孝和さんです。
附馬牛人形は江戸の終わりから明治の初めにかけての短期間だけ
遠野の地で作られていた郷土玩具です。
普通の土人形と違ってなま土に和紙を混ぜ込み、焼成はせず、
天日乾燥をした後彩色する張り子と土人形の中間のような郷土玩具です。
途絶えていた附馬牛人形を100年以上も経ってから
忠実に復元することに成功したのが佐々木さんです。
お人形の中に豆が入っていてカラカラと音がします。
埼玉県・春日部張子の牛乗り天神です。軽やかに動く四つ輪に乗っています。
五十嵐健二さんの作品です。
五十嵐健二さんは埼玉の地に古くから伝わる張子人形の技法を習得するため
張子人形師のもとで修業を積み、師の廃業を機に貴重な型を譲り受けて、
春日部張子として張子人形の製作を開始されました。
日本土鈴館とも親しくしていただいた作家さんです。
コロナ禍の中、大学・高校・中学などの入試試験が行われています。
例年にない不安の中、厳しい状況ですが
天神様のパワーも借りて日頃の成果が充分発揮できますようお祈りしています。
頑張れ!受験生!
日本土鈴館
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土鈴館入口右手に毎年展示する干支飾りですが
コロナ感染予防の為多くの方々にはご覧いただけない状況です。
今日もその中からいくつかの土鈴をご紹介したいと思います。
愛知県西尾市・松田克己さんのきらら丸鈴です。
丸鈴の表面にキラキラ光っているのは雲母(きらら)です。
西尾市にある八ツ面山は奈良時代から良質な雲母の産地だったそうです。
雲母の採掘は非常に困難で採掘の折に命を落とした人夫も多かったそうです。
亡くなった方への鎮魂の願いを込めて作られたのがきらら鈴だそうです。
広島県の中国山地土鈴・市岡節義さんの裃十二支の丑土鈴です。
コロコロと温かみのある音色は牛の表情に似合っています。
市岡さんは庄原市地方に伝わる比婆荒神神楽の神楽面を土鈴にされたり
裃十二支のような土鈴を製作されていましたが廃絶となってしまい残念です。
とても土鈴らしいこの作品は山梨県・甲州土鈴の丑土鈴です。
親子だるまや虫切り土鈴などが有名な初代斉藤岳南さんの作品です。
おなじみ、佐賀県・能古見土鈴です。
年賀切手のモデルにも何度も採用されていて人気が高く、
戦後に生まれた郷土玩具とはとは思えない存在感です。
鈴田道子さんの作品です。
東京武蔵野・深大寺窯の招福牛土鈴です。
金文字の周りを松竹梅で飾った華やかな牛の反対側には
ぐっと睨みを利かせた達磨さんが描かれています。
比較的大きな土鈴で馬場信子さんの作品です。
京都・洛趣舎の丑土鈴です。
真っ白な牛の身体に福瓢箪の色が映えています。
福瓢箪を乗せた真っ白な寝牛の土鈴です。
小さな瓢箪のひとつひとつに一期一会と一文字ずつ書かれています。
残念ながらもう作られなくなった土鈴です。
今日は干支飾りに展示てある土鈴をいくつかご紹介しました。
日本土鈴館
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令和三年もコロナ禍の中で始まりましたが
早いものでもう一か月が過ぎてしまいました。
入り口に飾っています今年の干支飾りもなかなか直接ご覧頂けない状況です。
少しご紹介させていただきます。
毎年の干支飾りの中央は起土人形(富田土鈴)の作品が並びます。
中島一夫さんは干支ものをたくさん作っていらっしゃって
大型で見栄えも良く縁起のいい力作が多いからです。
福島・三春張子の丑乗り大黒天です。
三春張子独特のお顔の大黒様が乗る黒牛は首振りです。
ゆらりゆらりと首を振る様に気持ちが和みます。
こちらも三春張子です。
天神様は背を曲げた黒牛を軽々と乗りこなしていらっしゃいます。
右側はお百姓さんでしょうか。
牛は農家にとって貴重な財産でした。
張子の牛と言えば福島会津地方に伝わる赤べこです。
古くから子供の魔除け、疱瘡除けのお守りとして大切にされてきました。
コロナ禍が心配な昨今、特に赤べこの人気が高まっているようです。
赤べこの身体にある黒い模様は疱瘡の治った痕だともいわれています。
赤べこの力を借りて一日も早くコロナが収束してほしいです。
日本土鈴館
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昨年10月からご紹介してきました年賀切手と郷土玩具ですが
今回で最後となりました。
平成27年・未年は中野土人形と鳥取岩井温泉が選ばれました。
信州・中野土人形の未土鈴は6代目奈良由紀夫さんの作品です。
どっしりと重みのある作品で、羊の穏やかな表情に気持ちが和みます。
鳥取県岩井温泉・おぐら屋さんの木彫り十二支の未はとても小さな作品ですが
胸を張って堂々としています。
どちらも年賀切手のデザインに選ばれるのは2回目です。
平成28年・申年に選ばれたのは大津絵十二支申土鈴とこだき申です。
滋賀県・大津絵十二支申土鈴は大津絵を題材に作られた土鈴です。作者は?田進さん。
天秤で提灯と釣り鐘を担いでいるのに軽い提灯が下がっているとの風刺が込められています。
大津絵は江戸時代の初めから大津の地で描かれた民族絵画です。
逢坂山のふもと(大谷・追分村)のあたりで簡単な仏画を描いて
土産や護符として旅人に売ったのが始まりとされています。
こだき申は高知県・土佐和紙漆喰張子です。
張子の中に無患子(むくろじ)という縁起の良い実が入っているので
振るとカラカラと音がします。
平成29年・酉年は倉敷張子と伊予一刀彫が選ばれました。
しかしこれは特殊切手のデザインで従来のようなお年玉年賀切手ではありません。
お年玉年賀切手はこんなデザインでした。
えっ!これ?と館長は落胆したようです。
今まで年賀切手と言っていたのは年賀状のお年玉としてもらえる切手シートです。
年賀状をもらって、当たっているかどうか確認して、
今年は何枚当たってよかったとか残念だとか言いながら
郵便局の窓口で引き換えてやっと手にすることができる年賀切手です。
倉敷張子の酉と伊予一刀彫の酉がお年玉年賀切手だったらどんなに良かったでしょう。
平成30年・戌年はざるかぶりと富山土人形…しかしこちらも特殊切手です。
お年玉年賀切手はこれでした。
この年のお年玉年賀切手シートにも館長は落胆してしまいました。
平成31年・亥年は平成最後のお正月となりました。
年賀切手のモデルに選ばれたの中湯川のこらんしょ亥と福良雀乗り豆招き亥です。
秋田八橋人形の干支亥も選ばれました。
どれもとても素晴らしい作品なのですが、この年も特殊切手でした。
お年玉年賀切手シートと違って好きなだけ買うことができます。
そして…平成最後のお年玉年賀切手シートはこれでした。
郷土玩具の招き猫は日本中にたくさんあり、土人形や張り子、土鈴など種類も多く
秀作も数えきれないほどある中で、この招き猫のデザインは……
図案を担当された方々には大変申し訳ないのですが館長は本当にがっかりして
お年玉年賀切手と郷土玩具をコラボする展示をやめてしまいました。
郷土玩具の選出の仕組みとかにもわからないことが多く
なぜ選ばれないのか不思議に思う素晴らしい郷土玩具の多い中
同じ郷土玩具が何度も選ばれたりし
(何回も選ばれて不満というわけでは決してありませんが)
次第に最初の頃のようなワクワク感が無くなったようです。
しかし、長年にわたってお正月を楽しませてくれたお年玉年賀切手には
ありがとうございますと御礼を申し上げます。
日本土鈴館
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コロナ感染拡大と寒波、大雪警報など
とても心配なことの多い令和3年の幕開けですが
気持ちだけは前向きに明るく過ごしたいと思います。
さて、平成22年・寅年には張子の首振りの虎2つが選ばれました。
左の仔猫のように可愛らしい虎張り子は中島めんやさんの作品です。
あどけなく見えるのですが加賀魔除けの虎という立派な名前です。
中島めんやさんの作品はなんと3回目の選出です。
右の立派な髭をたくわえた勇猛な虎は静岡張り子の首振りです。
「沢屋」杉本家が伝えてきた静岡張り子は、祝い鯛や髭だるまなどで有名です。
残念ながら、4代目杉本栄司さんが亡くなられて現在は製作されていません。
平成23年・卯年には稲畑土人形と西会津張子が選ばれました。
左の稲畑土人形の子うさぎ土鈴は5代目赤井君江さんの作品です。
兵庫県丹波市の稲畑土人形は江戸の終わり、初代赤井若太郎が伏見に倣って作り始めました。
良質の粘土がとれるという地の利も生かし農閑期の副業も兼ねて
最盛期には何軒もの製作者がいましたが
一貫して中心となり現在までただ1軒伝統を継承しているのが赤井家です。
右の愛らしい首振り招福卯は西会津張子です。
西会津町の観光案内によれば
豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷公が会津の領主として伊勢から国替を命じられた際、
下級武士達の糧になるようにと京都から人形師を招きその技術を習得させました。
長い伝統と今にも通じる愛らしい意匠の作品です。
平成24年・辰年に選ばれたのは相模土鈴の首龍と土佐和紙張子の龍です。
ただ、土佐和紙張子の辰は香泉人形の復元を目指した郷土玩具なので
土鈴館では香泉人形のオリジナルを展示しています。
左の首龍土鈴は神奈川県藤沢市・相模土鈴です。
作者は相沢伊寛さん、父上は佐野土鈴・相沢市太郎翁です。
大病の後、年賀切手の為に首龍の製作に取り組まれました。
伝説の生き物の龍を専門書などで研究され
龍に最もふさわしい上昇の運気の願いを込めて作られたそうです。
対照的にアニメっぽいひょうきんな辰土鈴は初代山本香泉さんの作品です。
年賀切手に採用されたのは高知県・土佐和紙雁皮張り子の龍ですが
もともとこれは廃絶した香泉人形の復活を願って香泉人形を型として作られたものですから
土鈴館ではオリジナルの初代香泉人形の辰土鈴を展示しています。
平成25年・巳年に選ばれたのは奈良井土鈴と門司ケ関人形です。
右の奈良井福袋巳土鈴は奈良井宿・藤屋さんの中西康二さんの作品です。
中西さんの美しい作品の中でも特段美しい作品だと思います。
赤い福袋とそれに巻き付く上品な白蛇の対比が紅白のおめでたさも醸し出しています。
北九州市・門司ケ関人形は戦後になって柳瀬重朝さんにより作られるようになりました。
戦後の貧しさの中、シャボン玉のおまけとして付けられていた小さな手びねりの土人形です。
柳瀬さんが亡くなられてから、門司ケ関人形工房さんに受け継がれました。
平成26年・午年のモデルは沖縄張子のちんちん馬と中山土人形の春駒土鈴です。
沖縄張子のちんちん馬は「チンチンウマグァー」というそうです。
王侯貴族が馬にまたがった姿を表した琉球古玩具ですが
玩具というには高嶺の花の高価なものだったようです・
紐を引くと木箱の下に隠れている四つ輪が回って動き出すからくりです。
針金の弦が付けてあって動くたびに「チンチン」と音がするのでチンチン馬と呼ばれます。
中山土人形の春駒土鈴は秋田県横手市で作られています。
明治の初めから樋渡家に伝えられている郷土玩具です。
また、度々登場するのごみ人形の稲荷駒が寄付金付の切手に採用されています。
確かに美しい作品です。
数ある郷土玩具の中から年賀切手のモデルに選出されるのは大変名誉なことです。
作者だけでなく、郷土玩具愛好家にとっても今年は何が選ばれるのだろうと
年末が近づいてくるとソワソワと気持ちが落ち着きません。
そんな気持ちで長年年賀切手と郷土玩具をセットにして楽しんできた館長ですが
少しずつ気持ちに変化も出てきたようです。
何回にもわたってご紹介してきましたが
次回でこの「年賀切手と郷土玩具」も最後となります。
今日もお付き合いくださいましてありがとうございました。
日本土鈴館
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新年のご挨拶が遅くなりましたが
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今日1月6日は白山長瀧神社の例祭・六日祭りです。
館長は毎年この日にお参りをして御祈祷延年華を授かっています。
しかし今年はコロナ感染予防の観点から
神事のみ行い、延年の舞と花奪い祭りは中止となってしまいました。
雪の積もった長い参道を転ばないように気を付けて本殿に着きました。
いつもなら美しく延年の花笠が飾られている本殿も今年は何もなく寂しい限りです。
無事にお参りも済ませ、お札を受けて
例年より数が少なかった限定の延年華も無事に授かることが出しました。
花奪い(はなばい)土鈴です。
白山を背景に多くの人が花笠を奪い合う様子がうまく表現されています。
奇祭・花奪い祭りは本殿にぎっしり集まった人々が重なり合い競い合って
天井につるされた菊や椿などの花笠をもぎ取るお祭りですから
コロナ禍の現在では中止もやむを得ないと思います。
コロナ禍の猛威に振り回されてあけた令和三年ですが
なんとか押さえ込むことに成功して自由で明るい年になりますように!
今年が皆様にとって幸多き一年になりますようお祈り申し上げます。
日本土鈴館
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コロナ感染拡大第三波の真っただ中で迎えたXmas。
いつもとは何もかも違ってしまった令和2年も残りあと数日となりました。
そして今年最後のブログ更新となりました。
平成17年の年賀切手に選ばれたのは下野土鈴と日田土鈴の鶏です。
だんだん年賀切手の種類が増えてきて以前のようなお年玉切手シートとは違います。
80円切手が栃木県・下野土鈴の干支酉土鈴です。
栃木県には下野佐野土鈴や堀米人形などの有名な土鈴がありますが
この年選出されたのは下野土鈴でした。
瓢細工や黄鮒土鈴で有名なふくべ洞さんの土鈴です。
50円切手には日田土鈴の雌雄の鶏が選ばれています。
大分県日田市で作られる日田土鈴は東光堂さんで作られています。
人気の干支土鈴のほかに、荒縄に数個の丸鈴が付けられた鈴があります。
鈴に宿る神聖な力によって魔除けとなると信じられています。
平成18年は佐土原人形の狆と秋田犬が選ばれました。
秋田犬は郷土玩具ではなく、生きている秋田犬です。
なんと、この年は郷土玩具ではなく生きた秋田犬と柴犬も選ばれています。
ちょっと唐突な感じもしますが…
気を取り直して・・・
400年の伝統を現在も守り続けている宮崎県の代表的な郷土玩具です。
文化年間創業といわれ現在も7代目が活躍しておられる
佐土原人形ますやさんの古代犬・狆の土人形です。
小さな土鈴も添えてみました。
平成19年の亥は富山土人形と助六から選ばれています。
江戸玩具・助六さんの宝珠猪です。
助六さんの宝珠シリーズは2回目の選出です。
小さな作品です。
こちらはとやま土人形の猪土鈴です。
嘉永年間に前田公の命により千歳焼の窯が作られ陶器作りが始まりました。
陶器作りの傍ら、広瀬安次郎が献上した天神臥牛が富山土人形の始まりとされています。
江戸の終わりから明治にかけて盛んだった土人形作りも
最後の後継者とされる渡辺信秀さんの亡き後、廃絶の危機に陥りましたが
伝統を守ろうと「富山土人形伝承会」が立ち上がり
その文化と技術の伝承に研鑽を積まれています。
平成20年・子年には奈良井人形と甲府土鈴が選ばれました。
奈良井福徳十二支子土鈴です。
奈良井の宿・藤屋さんの中西康二さんの作る土鈴は本当に可愛らしいです。
東京での土鈴をはじめ、からくり人形や、首人形、土人形など
様々な奈良井の諸玩具を製作されましたが残念なことに早世され、奈良井の諸玩具は廃絶しました。
甲府土鈴・斎藤岳南さんの子土鈴です。
この作品は平成8年のお正月に岳南さんから館長が譲っていただいたものです。
うさぎにも見える愛らしい仕草とお顔です。
平成21年・丑年は願掛け牛と三次人形の牛乗り天神です。
左の願掛け牛は長崎県佐世保市の郷土玩具です。
昔(室町時代)、足利将軍への拝謁がなかなか叶わず思い悩んでいた松浦藩主の夢に
赤毛の牛が現れて願い事を三つ叶えてやると言ったそうです。
松浦藩主の望みは叶えられ、赤牛は守護神となったとの言い伝えから生まれました。
大願成就の願いが込められた願掛け牛です。
右の天神様は広島県の三次人形です。
切手の寝牛乗り天神はどうしても入手できなかったそうです。
三次の天神様は別名「光天神」とも呼ばれるほどつやつやした光沢が特徴のとても美しいお人形です。
今年はコロナコロナで世界中が一変した年となってしまいました。
そして今まさにコロナ禍の真っ最中で
いつもと違う年末年始を迎えようとしています。
不定休の日本土鈴館も例年より長く年末年始の休館日を頂く予定です。
一日も早くコロナ禍が収束して
郷土玩具愛好家の皆様にお越しいただける日が来ますように。
来年は明るくて笑顔のあふれる一年になりますようにお祈りいたします。
皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ‼
日本土鈴館
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郡上市は昨日から久しぶりの積雪となりました。
今晩から明日にかけてが降雪のピークになるそうです。
一日中氷点下の寒さも加わっていますので土鈴館はしばらく休館しています。
今日は平成12年から16年までの年賀切手と郷土玩具をご紹介します。
平成12年は唐津曳山土鈴と常石張子の辰です。
唐津曳山土鈴は飛龍も七宝丸もサイズ違いまでたくさん揃っていますが
広島・常石張子の辰が収集できなかったそうです。
辰年の館長としてはこの常石張子の辰が展示ケースに飾れず残念な思いでしょう。
平成13年は深大寺土鈴と笹野一刀彫の巳です。
この年は年賀切手の郷土玩具がそろって展示出来てよかったです。
深大寺土鈴の巻き巳土鈴はまるでソフトクリームのように白蛇がクルクル巻いています。
深大寺土鈴は初代馬場信子さんが武蔵野の美しい草花を土鈴に描いたものです。
山形を代表する郷土玩具、笹野一刀彫も2回目の選出となりました。
この年の巳は力強く大胆に彫り上げた作品になっています。
作者はお名前も辰、7代目辰五郎さんです。
この年、寄付金付きの年賀切手のデザインに
深大寺土鈴の黄色い渦巻き蛇も選ばれていますからご紹介しておきます。
平成14年に選ばれたのは吉良の赤馬と新潟のスゲ細工です。
愛知県・吉良の赤馬から見てみましょう。
忠臣蔵では世の中の全てを敵に回すような敵役の吉良上野介ですが
領内では名君として領民に慕われたお殿様だったそうです。
いつも愛馬の赤馬に乗って領内を視察していた姿が郷土玩具として残りました。
手びねり風の小さな作品です。
一方妙高高原のスゲ細工の馬は猪に次いで2回目の選出となりました。
馬の郷土玩具は日本各地にたくさんありますが
その中から2回も選出されてすごいですが
確かにこの作品を見ると素朴ながら美しいフォルムで
農耕馬として人に寄り添う馬の姿にぴったりだと思います。
平成15年は助六と陶人形の未土鈴が選ばれました。
左の江戸玩具・助六の宝珠乗せ未鈴は宝珠乗せ十二支の未です。
江戸玩具らしく小さくて美しい作品です。
右のひつじ鈴は札幌の橋本紀比古さんの陶人形と呼ばれる土鈴です。
京都で陶人形の修業をされた後、札幌で創作活動をされています。
色合いも優しくコロンとした丸みの愛らしい土鈴です。
この年の寄付金付き年賀切手のモデルに福島・中湯川人形も選ばれています。
青柳守彦さんが昭和の終わり頃から制作されている中湯川人形は
どんどん人気が出て郷土玩具愛好家の注目を集めています。
平成16年の年賀切手モデルは姫路張子と伊予一刀彫のお猿さんです。
どーんと構える左の張子猿は姫路張子です。
日本各地に伝えられている張子人形ですが
盛んに作られ人々に買われるようになったのは江戸時代からだそうです。
反故紙を利用して張りぼてとも呼ばれる張り子作りが盛んになりました。
姫路城下のこの地でも明治の初めころ、豊国屋直七によって姫路張子が作られました。
お面や虎張り子、起き上がりなどの縁起物が作られています。
右の可愛らしい烏帽子のお猿さんは伊予一刀彫です。
愛媛県松山市で昭和になってから作られるようになった郷土玩具です。
初代南雲は仏師でもあったそうです。
現在も南雲工房で多くの作品が制作されています。
今日も郷土玩具と年賀切手のコラボを見てきました。
まだまだ続きますが、よろしいでしょうか…
日本土鈴館
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比較的暖かく過ごしています今年の初冬ですが
来週は強烈な寒波が日本列島をすっぽり覆うとの週間天気予報です。
2年続けて雪の降らなかった郡上市にも本格的な降雪が予報されています。
いつもなら冬用タイヤの交換は済んでいるのに油断した今年は未だです。
大急ぎで冬支度をしなくてはなりません…
さて、いつものように年賀切手になった郷土玩具を見てみましょう。
平成7年・亥年の年賀切手は出雲張子と高山木版手染めの猪です。
左は鳥取県・出雲張子の首振りの猪です。
出雲張子は昭和37年の年賀切手にも数ある虎の張子の中から最初に選ばれました。
出雲張子の干支はみな首振りになっています。
鼻先から尾にかけてきれいなカーブで作られていて
大きな頭が揺れるさまはなんとも可愛らしいです。
一方、高山の木版手染めの猪は木綿に手染めをしたぬいぐるみで
真工藝さんのオリジナルです。
赤ちゃんの手にもなじむような優しい十二支がそろっています。
平成8年・子年の年賀切手は米倉ねずみと唐辛子ねずみです。
米倉ねずみは鹿児島県・薩摩首人形の紙塑人形のからくりです。
鹿島たかしさんの作品で、和紙と糊を混ぜ合わせた紙塑(紙粘土)を手びねりで作ります。
鹿島さんの作品はごつごつした感じの表面が素朴さを伝えています。
面被りや首人形などの作品を残されましたが今は廃絶玩具となってしまいました。
宮城県・堤人形の唐辛子ねずみは小さな作品です。
真っ赤な唐辛子の上にいる白ねずみのお人形は唐辛子ねずみと呼ばれ
各地に時々見られる意匠です。
多産で子孫繁栄の象徴であるねずみと種の多い唐辛子の縁起担ぎの組み合わせです。
平成9年・丑年の年賀切手は沖縄の闘牛と高松の牛乗りです。
沖縄に伝わる琉球張り子の牛(アーシ)です。
この首振りの張子の牛は沖縄らしいというか大陸的というか
牛の顔つきがとても斬新で陽気な感じがします。
琉球張り子の第一人者、古倉保文さんの作品です。
こちらは香川県・大崎文仙堂(大崎豊五郎)さんの牛乗り童です。
おめでたい絵付けがされた牛に乗る優しいお顔の童です。
大崎さんは、高松に伝わっていた古い郷土玩具を研究し、復活させた方です。
昔の嫁入人形や運動人形などの再現に尽力されました。
平成10年・寅年の年賀切手は三春張子と博多張子の虎張り子です。
左が博多張子の首振りの虎です。
江戸時代から作られている虎の張子で、五月の節句などに飾られてきました。
右は福島・高柴デコ屋敷で作られる腰高虎です。
おしりと尻尾を高く上げ、見開いた目と大きく開けた口が特徴です。
デコ屋敷ではそれぞれの腰高虎が作られているようです。
平成11年・卯年の年賀切手は餅つきうさぎと玉乗りうさぎ、どちらも張子です。
千葉県・佐原張子の餅つきうさぎは杵で福餅を搗く姿です。
素朴な味わいに温かみを感じます。
こちらは山形張子の玉乗りうさぎです。
まるで曲芸師のようなポーズです。
山形張子は、昔、京都で修業をした渋江長四郎さんの作る練物、
渋江人形の流れをくむ郷土玩具です。
今日も年賀切手と郷土玩具を見てきました。
次回は2000年(平成12年)の辰年から始まります。
日本土鈴館
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慣れ親しんだ昭和から平成へ。
年号が変わるという経験は多くの人にとって初めての事だったと思います。
平成2年(午年)の年賀切手は青森県の八幡馬です。
八戸・櫛引八幡宮の例大祭に売られた美しい木製の駒です。
宮城の木ノ下駒、福島の三春駒と並んで日本三駒と呼ばれます。
この地方は古くから馬の産地として有名で馬市も開催され
美しい八幡駒は愛馬の無事を願う多くの人々に買い求められました。
平成3年(未年)の年賀切手は能古見のひつじ土鈴です。
佐賀県鹿島市の能古見ひつじ土鈴が選ばれました。
昭和38年のうさぎ土鈴に続いて2回目の選定となりました。
染色工芸家・鈴田照次さんが戦後の暗い世相に
少しでも明るい光がさすようにとの願いを込めて作られるようになったのごみ人形は
妻の道子さんやお子さんに引き継がれて立派な郷土玩具となりました。
平成4年(申年)の年賀切手は張子猿の三番叟です。
石川県金沢市・中島めん屋さんの猿の三番叟です。
おめでたい三番叟を舞うお猿の金沢張子です。
昭和35年に米食いねずみが選出されていますから、めん屋さんの作品も2度目となりました。
年賀切手の図案はどうやって決めるのでしょうか。ちょっと知りたい気もします。
平成5年(酉年)の年賀切手は太鼓乗り鶏と富山のにわとりです。
左は津屋崎土人形・太鼓乗り鶏土鈴です。
太鼓の上に鶏が乗っている姿は、中国の故事「諌鼓」に由来するそうです。
昔々、伝説上の聖天子が君主に諫言をするための太鼓を門前に備えたというもので
善政が続けば「諌鼓苔むす」と言われる平和な世の中になりました。
諫鼓鶏の図は太鼓を打ち鳴らす必要のない善政の世を象徴します。
右は富山県南砺市・五箇山張子の鶏です。
張子ではなく五箇山和紙で作られる紙塑人形です。
山深い里山で作られる温かみのある郷土玩具です。
平成6年(戌年)の年賀切手も二つの犬が選ばれました。
千葉県・芝原土人形の羽衣狆と呼ばれる古代犬です。
狆は古くに大陸から日本にやって来て高貴な人々の愛玩犬として大切にされました。
日本での品種改良も重ねられ、昔は犬と言えば狆を指したようです。
大切に座敷で飼われ、美しい羽衣のような涎掛けを付けてもらっていました。
こちらは高知県の山本香泉さんの土佐の横綱犬です。
女流画家であった初代香泉が高知で作り始めた香泉人形ですが
その後2代目香泉に引き継がれたものの今は廃絶となってしまいました。
数多い郷土玩具から選ばれて年賀切手シートとなることは大変名誉なことです。
2度も選ばれるなんてこともある一方、
こんな素晴らしい郷土玩具がなかなか選ばれないということもあります。
どのような観点でどなたが選定していらっしゃるのでしょうか…
今日は平成になってからの5年間の年賀切手と郷土玩具を見てみました。
日本土鈴館
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コロナに明けコロナに終わる令和二年もあと一か月ほどとなりました。
来年こそは明るい年になるようにとの祈りも込めて
館内は令和三年・丑年の飾りつけが完成しています。
例年ですと、飾りましたからぜひ見に来てください!と書くのですが
現在第三波ともいわれるコロナ禍の中ではそうも参りません。
開発中とされるワクチンに期待して
せめて来年の春すぎには「皆さまお越しくださいませ」とお誘いしたいです。
さて、このところ年賀切手と郷土玩具を昭和〜平成とご紹介していますが
令和3年・丑年の年賀切手のモデルはともに川崎巨泉のおもちゃ絵から選ばれました。
川崎巨泉のおもちゃ絵です。
川崎巨泉は明治10年大阪堺市に生まれ、浮世絵を学んだのち
商業広告や新聞広告などの下絵を製作する図案家として活躍しました。
一方で郷土玩具に深い関心を寄せ蒐集家としても活動しました。
明治の終わりから昭和の初めにかけて郷土玩具を描いて頒布することを生業としました。
令和3年の年賀切手はのおもちゃ絵から布引牛と俵牛が選ばれました。
長野県善光寺に伝わる布引牛は「牛にひかれて善光寺参り」の諺を玩具化したものです。
おもちゃ絵の右上にいますね。
おもちゃ絵を見たとき、こんな古い布引牛は手に入らないよね〜と話していましたが
翌日、館長が館内の片隅に飾ってあったこの布引牛を見つけてきました。
この布引牛は現在作られているものと違って、四つ輪まで焼き物で作られています。
とても珍しい作品なので前後左右からどうぞご覧ください。
もう一つ、俵牛はおもちゃ絵の添え書きには「伏見俵牛」と書かれていますが
日本郵便の発表では「滋賀県小幡土人形俵牛」となっています。
もともと小幡は伏見の影響を強く受けながら長い伝統を守っていますので
伏見と小幡の俵牛はとてもよく似ています。
こちら、小幡土人形の俵牛だと思います。
牛は馬と共に昔からよく働き日本人の暮らしを支えてくれました。
布引牛のように善行を教えてくれたり俵牛のように豊作を祈ったり…
来年は、ゆっくりながら力強く歩を進める牛を見習って
私たちも一歩一歩着実に前に進んで行きましょう。
日本土鈴館
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秋もだんだん深まってまいりました。
気持ちのいいお天気が続いたので郡上市せせらぎ街道の紅葉を見てきました🍁
ちょっと見頃は過ぎていましたが、館長の思い出の地ということで
懐かしく昔話に花が咲きました。
土鈴館の裏山の紅葉もそろそろ終わりに近づいて
黄色やオレンジに染まった山栗やブナの木の葉がハラハラと舞い落ちています。
ずっと年賀切手に採用された郷土玩具のご紹介をしていますが、
館長がこの記事を楽しみにしていますので今日もご紹介します。
昭和60年(丑年)の年賀切手は作州牛です。
岡山県の作州牛は竹で作られた首振りの郷土玩具です。
中国地方の山あいで飼育される作州牛は、力強くて賢い和牛だそうです。
作州牛が農耕作業の助っ人として出稼ぎに行く姿で
美しく着飾った姿に牛への愛情が感じられます。
昭和61年(寅年)の年賀切手は神農さんの虎です。
大阪の小彦名神社は神農さんと呼ばれ、神農祭りに授与される張り子の虎です。
お祀りされている神農氏は中国の医薬の神様だそうです。
江戸時代の終わりころ、コレラが大流行したときのことです。
「虎頭殺鬼雄黄丹」という名の丸薬にちなんで張り子の虎を
少彦名神社にお供えして病魔退散を祈願したのが始まりとされています。
写真の吊るされた虎張り子はいせそうのものです。
昭和62年(卯年)の年賀切手は餅つきうさぎです。
名古屋土人形の最後の継承者・野田末吉さんの作品です。
夫婦の白うさぎが餅つきをしています。
野田さんの作品は小さなものが多いのですが、
このうさぎは8×9?と野田さんにしては少し大きめの土鈴です。
うさぎの愛らしい姿や優しい色使いに温かみを感じます。
昭和63年(辰年)の年賀切手は倉敷張子です。
倉敷張子は生水家に伝わる郷土玩具です。
代表的な作品として、虎張り子や素隠居などがありますが
生水幹一さん考案の十二支も作られるようになりこれは辰年の張子です。
昭和64年(巳年)の年賀切手は巳土鈴です。
栃木県佐野市の堀米人形・山口壬三さんの十二支土鈴のうちの巳土鈴です。
博多人形の修業を積まれた山口さんの作品はどれも丁寧に彩色されていて、
土鈴の命は音色にあるとの信念から
どのような形の土鈴でも美しい音色が響くように作られています。
この年賀切手が昭和最後の年賀切手となりました。
今日は昭和60年・丑年から昭和64年・巳年までのご紹介でした。
日本土鈴館
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今日は昭和55年から昭和59年の年賀切手を見てみましょう。
昭和55年(申年)の年賀切手は喜々猿です。
喜々猿は大阪住吉大社の授与品です。
住吉さんと呼ばれて広く信仰を集めている住吉大社は郷土玩具の宝庫でもあります。
喜々猿は三匹の猿が重なっていて、喜々という響きにも縁起のよさを感じます。
住吉人形と呼ばれるこのような土人形の起源は明和年間(1764〜71)にまで遡り、
初代・北尾安兵衛が伏見人形に倣って作り始めたとされます。
今は堺湊焼の津塩家で作られています。
昭和56年(酉年)の年賀切手は豊年鶏です。
長野県・中野土人形の豊年鶏です。
米俵に鶏が乗ったお人形を豊年鶏と呼び豊年満作の祈りが込められています。
写真の豊年鶏は6代目奈良由紀夫さんの作品ですが、残念ながら修理の跡が見られます。
昭和57年(戌年)の年賀切手は羽衣狆です。
山形県相良人形の羽衣狆です。
古代犬などとも呼ぶようですが、奈良時代に大陸の小型犬が贈られて以降、
貴族階級の愛玩動物として珍重され、日本での品種改良も行われ
昔は犬と言えばこの様な狆を指したようです。
貴重な狆は大切にされ、首の周りに美しい涎掛けをしています。
涎掛けは何枚もの柏の葉が重なったようなデザインが多く子孫繁栄を願いました。
さがらたかしさんの作品です。
昭和58年(亥年)の年賀切手はしし乗り金太郎です。
宮城県・堤土人形の力強い作品です。
金太郎は暗めで落ち着いた朱色で逞しく、熊ではなく猪を乗りこなしています。
堤土人形は、岩手の花巻、山形の相良と共に東北三大土人形に数えられ、
その起源は江戸時代の中頃と言われています。
現在も芳賀家と佐藤家に受け継がれています。
昭和59年(子年)の年賀切手は小槌乗りねずみです。
滋賀県を代表する郷土玩具小幡人形の小槌乗りねずみです。
小幡でこと呼ばれ300年の伝統を誇る小幡人形は
五個荘小幡町で代々細居家に受け継がれています。
この小槌乗りねずみは8代目細居文蔵さんの晩年の作品です。
年賀切手になった郷土玩具、いかがでしたか。
次回もご覧いただければうれしく存じます。
日本土鈴館
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最近朝晩の冷え込みが急に厳しくなってきました。
寒がりの館長は石油ストーブと電気ストーブの間のポカポカの特等席で過ごしています。
さて、今日も年賀切手のデザインに採用された郷土玩具をご紹介します。
昭和45年(戌年)の年賀切手は法華寺の守り犬です。
奈良県法華寺の守り犬は厄除け、長寿、安産のお守りとして授与されます。
護摩堂の灰と土を練りこんで成形、乾燥させ、胡粉で着色した後
雲母粉で磨き上げ、最後に模様を施して完成させるそうです。
大変由緒と歴史のあるもので、
法華寺HPによれば精進潔斎した門主と尼僧のみが作ることを許されるようです。
昭和46年(亥年)の年賀切手はスゲ細工の猪です。
新潟県妙高市平丸地区で作られるスゲ細工は
雪深い山間に暮らす人々の冬の副業として作られています。
歴史はさほど古くなく昭和30年代から制作されたようです。
スゲというのはカヤツリグサの仲間の総称でどこにでも生えています。
現在はスゲ細工の保存会を通じて継承活動が続けられています。
昭和47年(子年)の年賀切手は一般的な宝船、
昭和48年(丑年)の年賀切手は色絵土器皿梅模様、
昭和49年(寅年)の年賀切手は梅竹透釣灯ろう、
昭和50年(卯年)の年賀切手は桂離宮水仙の釘隠し。
なぜか急に郷土玩具が外されてしまいました。
昭和51年(辰年)の年賀切手は三春張子の辰車、郷土玩具の復活です。
福島県の三春張子は高柴デコ屋敷で作られています。
江戸の初めころ、農閑期の副業として三春藩主が農民に習得させた郷土玩具です。
十二支の中で唯一空想上の生き物であり誰も見たことのない干支ですが
勢い良く天を翔ける姿は誰もが想像できて、十二支の中でも1.2の人気者です。
ちなみに館長は辰年です。
昭和52年(巳年)の年賀切手は竹ヘビです。
神奈川県伊勢原市・大山寺の参道で売られている竹ヘビです。
大山の竹ヘビだったのかどうかは分かりませんが
私が子供の頃、観光地のお土産屋さんには必ずと言ってよいほど竹ヘビが売られていました。
蛇は怖いくせに、このおもちゃはくねくねと面白い動きをするので
いつも手に取って動かしてみた記憶があります。
このおもちゃが神奈川の郷土玩具だったということを初めて知りました。
昭和53年(午年)の年賀切手は飾り馬です。
京都・伏見人形の飾り馬です。
年賀切手と全く同じ伏見の飾り馬ではないようですがどちらも伏見の飾り馬です。
厳密には賀茂の祭などで美しく飾り立てた馬に唐鞍を載せた馬を指すようです。
昭和54年(未年)の年賀切手はひつじ鈴です。
秋田県横手市・中山土人形の未鈴です。
江戸の終わりころ、鍋島藩の陶工だった野田宇吉が中山の地に移り住み
生活雑器などを作り始めたのがそもそもの始まりだそうです。
中山人形として土人形を作り始めたのは息子の嫁となった樋渡ヨシさんでした。
以来樋渡家に受け継がれています。
日本土鈴館
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